保健室の前に立ったコーデリアは、妙に緊張していた。
 ここに入ることはほとんどない。というか、入った回数は片手で数えられるくらいだ。それも、今ここにいるのは、体調不良でもなければ相談事でもない。個人的な質問の為に入ろうとしているのだから、なおさらだ。
 ノックしようと上げた右手を動かせず、コーデリアは扉とにらめっこをしていた。
 先生以外に誰もいませんように。やっとノックをする決心がついた時、
「どうかしましたか」
 突然背後から声がかかり、コーデリアは飛び上がった。
 ぐるんと勢い良く振り返ると、扉の向こうにいると思っていたシルマールが立っていた。
「驚かせてしまいましたか、すみません」
「あ、いえ……」
 ほけほけと笑うシルマールとは、ほとんど喋ったことがない。だが、噂に聞いていた通り、物腰が柔らかく話しやすそうな人物だ。第一印象でそう感じたコーデリアは、「あの」と声を強めた。
「私、シルマール先生に聞きたいことがあって……いいですか?」
「それは、お待たせしましたね。どうぞ中へ」
 扉を開けて中のソファーへ招いたシルマールに、コーデリアはほっと息をついた。やっぱり話しやすい人だ。
 向かい合って座ったコーデリアは、どうやって話を切り出すか、あれこれと考えていた。
 それを悟ったかのように、シルマールは優しく話しかける。
「コーデリアさん、ですよね」
「あ、はい」
「ナルセス先生からよく話を聞きます。元気の良い生徒が、と」
「そうなんですか……」
 あの先生が私の話をするなんて。コーデリアは驚く。と同時に本題に入るチャンスを見つけ、体を乗り出した。
「そのナルセス先生のことなんですけど」
 ちらりとシルマールの様子を窺う。表情に変化は見られず、微笑んだままだ。
 コーデリアは、おずおずと口を開いた。
「あの、ナルセス先生の好きな紅茶、わかりますか?」
「は?」
 これまで表情を変えなかったシルマールが、初めて目を丸くした。それを見て、コーデリアは顔を真っ赤にする。
「これは……失礼しました」
「わ、私こそ変な質問でごめんなさい!」
「謝ることはありませんよ」
 このままでは、妙な誤解を招きそうだ。そう思ったコーデリアは、ぼそぼそと理由を話した。
「私いつもナルセス先生にお世話になってるから、お礼にと思って、紅茶のお菓子をつくるんです。どうせなら好きな味にしたくて……」
 シルマールは納得したようで、なるほどと頷いた。
「それならネーベルスタン先生に聞いた方が。彼、ナルセスくんと仲良しですからねぇ……」
 独り言のように発した後半の台詞にコーデリアは驚く。ナルセス先生に仲の良い人なんていたのか。
 にこにこと笑いながら、シルマールは卓上の受話器を取った。内線で職員室に繋げたらしい。数回のやりとりの後、再びソファーに腰掛けた。
「すぐに来ますよ」
「あ……わざわざありがとうございます」
「いえ、私こそ楽しませてもらってますよ。ナルセス先生が好く生徒も、好かれる生徒も珍しいですから」
「……確かにそうですね」
 シルマールの言い草にコーデリアは笑みを漏らした。
 コーデリアは彼に気に入られている。ウィルも同様。ラベールはよくわからないが、少なくとも嫌われてはいない。その判断基準は不明だが、そうだということはナルセスの態度を見れば明確だ。
 他にナルセス先生が好いている人、と考えていたコーデリアは、先ほどのシルマールの台詞を思い出した。
「でもネーベル先生は、ナルセス先生と仲良しなんですね」
「本人は否定しますけどね。一番仲良しです」
 一番仲良し。ということは深い付き合いなのか、それとも気が合うのか。コーデリアには、後者は考え辛かった。
 今度ナルセス先生に聞こう。そう思った時、コンコンとノック音がした。保健室に入って来たのは、案の定のネーベルスタンだった。
「昼休みなのにすみませんね」
「いえ、大丈夫です。それで先生、俺に聞きたいこととは」
「ああ、私ではありません」
 彼女ですとシルマールが手で示し、ネーベルスタンの顔がまっすぐコーデリアへ向いた。
 コーデリアは、教科担任ではないためにネーベルスタンと直接の面識がない。親しみのない教師二人に挟まれ、彼女の緊張は高まった。
「ナルセス先生のことなんですけど、好きな紅茶ってわかりますか?」
「紅茶?」
 ネーベルスタンは、シルマールと同じく驚き、怪訝そうに眉を寄せた。今度は赤面こそしなかったものの、コーデリアは胸の内で苦笑いをした。そりゃあ、いきなり他人の好みをピンポイントで聞かれたら、不思議がるだろう。理由を手短に説明すると、ネーベルスタンは腕を組んだ。
「ナルセス先生はフレーバーティーを好むな……。特に、アールグレイはよく飲んでいる」
「わかりました、ありがとうございます。ネーベル先生って、本当にナルセス先生のことよく知ってるんですね」
 コーデリアは立ち上がり「失礼しました」と一礼する。そのままそそくさと部屋から出て行った彼女は、一瞬目を丸くしたネーベルスタンに気付かなかった。

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