薄暗い部屋の中、ロベルトはなんの合図もなしに目を覚ました。板戸の隙間から朝日が漏れている。蔀(しとみ)を押し上げると海風が部屋に舞い込む。木枠に手をついて覗いた空は一面青い。今日のノースゲートは快晴だ。
爽快な日和とは反し、十九歳のロベルトは閉塞感を持て余していた。
故郷を飛び出し、北大陸に渡ってから既に三年経っている。その年月のほとんどを探索に費やし、多くの冒険者とパーティーを組み、弓を握らない日はなかった。稼ぎはそれなりに、知名度もそこそこに。幸いにも生活に困ったことはあまりない。決して、悪い状況下での冒険生活ではないはずだ。
それでもロベルトは、心のどこかに不満を抱えている。
北大陸はどこだってエキサイティングだ。開拓が進んできたといっても、ノースゲートから少しはみ出せば、人の痕跡がない森が広がっている。誰それが古い建造物を見つけた、なんて情報を酒場で仕入れる度に、なにそれ知らないと身を乗り出す。この場所を知り尽くすことなんて不可能なのだ。自分の好奇心を満たしてくれるものはいくらだってあるはずだ。
自分の力不足を感じることは当然ある。宝があると思ったのに全くの見当違いだったり、モンスターの縄張りに踏み込んで這々の体で逃げ帰ったり、そんな失敗談は枚挙に暇がない。でもそれはあくまで失敗であって、不満とは違う。もっと経験を積んで成長すればいい。それはロベルトにとって心地良い渇望だ。
立っている場所じゃない。自分自身でもない。足りないのは自分の外側。仲間の存在だ。
もちろん冒険者仲間はいる。求めているのはパートナーの存在だ。それも、自分だけの、唯一無二の。なんて言うと重いかもしれないけれど、命を預ける相手だ。重いくらいで丁度いい。互いを尊重して、信頼して、あけすけに意見をぶつけ合えるパートナーを求めている。一冒険者として北大陸の大地を踏んだ時から今日この日まで、変わらず胸にある望み。ロベルトの、漠然とした夢の一つだった。
人当たりの良さを自覚していたロベルトは、なによりも、交友関係を広げることを意識した。同時にディガーとして腕を上げれば、自然に出会いは増す。そうして行動を共にして仲を深めた冒険仲間は幾人もいる。しかし、仲間の中にパートナーたり得る冒険者はいなかった。全くもって相性が悪いとは思わない。ただ、それとこれとは話が別だ。
静かにため息をつく。終わりの見えない夢を見続けるのは、楽じゃない。
「じゃ、ないって!」
胸に飛来した諦めを大声で振り払って、ロベルトは少ない荷物を持ち上げた。そろそろ酒場に冒険者が集まる時間だ。昨夜、港に船が着いたのを見た。いつもの貨物船ではない、たくさんの人を乗せた船だ。もしあの船に冒険者が乗っていたとしたら、必ず翌日の朝に、つまり、この時間から活動を始める。
まずは新顔を探す。村周辺の案内を買って出てるか、いきなり仕事を振ってみるのもありだ。その辺りは相手の様子を窺いながら適切に。警戒されたら酒場のオヤジに口添えを貰えばいい。もし誰もいなかったら、その時は、その時だ。
大雑把ながらすっかり定番となったプランを口の中で復唱して、ロベルトは身支度を整えると一直線に酒場へ向かった。
ギィと聞き慣れた音を鳴らしてドアを開く。誰か見慣れないやつはいないものか、と店内を見回すまでもなく、それは、真っ先に目に飛び込んできた。
カウンター席の右端、真っ赤なジャケットと風変わりなスタイルの金髪。後ろ姿でもわかるくらいに良い体格。一目見たら忘れられないだろう姿は、間違いなく初めて目にする男だった。
だが。声をかけようとしたロベルトは一度足を止めた。
男のアニマが刺さるようだった。清涼ではあるが、どこか張りつめている。真冬の、頬を打つ風と酷似している。近づくなと言っているかのような。
道理で、とロベルトはテーブル席をちらりと見る。ちらほらと集まり始めている冒険者の誰もがカウンターに座っていないのは、その気にあてられたせいか。それで、距離を取っているというわけだ。
それでも構わずロベルトは男の隣に立った。
お前は嫌かもしれないけど、俺は無遠慮に踏み込ませてもらうよ。
胸の内で舌を出し、ロベルトはいつもと同じように「よう」と声をかけた。
「あんた、ヴィジランツか?」
男が顔を向けた。思っていたより若い、むしろ幼さが残る顔立ちだった。無表情だが緑の瞳に冷たさはなく、こちらを嫌悪しているわけじゃない、とロベルトは判断する。
「ああ」
「剣士ってところだよな。俺は、ここで三年ディガーやってる」
腰に下がった二振りの剣を見て判断する。見たこともない巨大な鋼の剣と、その疎外効果をものともしない強烈な炎のアニマを感じさせる剣。特異な組み合わせだ。だが、今はそこに突っ込むタイミングじゃない。頭を切り替え、質問を重ねる。
「あんたはどれくらい?」
「ヴィジランツとしては、ニ年目。剣技は物心がついた時からだ」
「へえ、そりゃ頼もしい」
思わず口端が上がる。正確な年数はわからないが、少なくとも十年以上は鍛えているに違いない。事実であれば、実力は申し分ないだろう。
ロベルトはすぐさま隣の席に座った。こいつに使う手は、プランB。
「俺はこれから、大昔に作られた地下洞窟に向かう。クヴェルかどうかは別として、何か取れると思ってるからな。で、あんたに手伝ってほしい。大所帯じゃ動きづらいから、二人で、だ」
「取り分は」
「最奥まで行けたら四割。働きによっちゃあ色をつけてもいい」
「……地下洞窟と言ったな」
「ああ。ここから二時間弱ってところかな。入り口を少し確認したが未開拓だった。何が出てくるかわからない洞窟だ。危険のわりにハズレって可能性もある。頼りになるのは自分の腕と勘だけだな」
挑戦的な態度で出方を見る。北大陸でのクヴェル掘りの難点は、情報がほとんどないことだった。人の手が入ってないだけに大物が眠っている可能性はいくらでもあるが、メリットばかりではない。未開拓、危険、ハズレ有り。ロベルトが言った三つのリスクは、ここで生活するうえで必ずついてまわる。それに怖じ気づいては、冒険者としてやっていけない。
呑めない、と断られるだろうか。ロベルトの胸中には懸念もあった。やわには見えないが、見慣れない彼は北大陸に来たばかりのはず。同行をためらう者は少なくない。
そのうえ初対面だ。男のアニマは相変わらずちくちくと肌を刺すし、表情は石像かと錯覚するほど動かない。それでも、ロベルトは挑発的な笑みを崩さなかった。自分の不安はおくびにも出さない。出しちゃいけない。交渉の基本だ。
男は目を逸らさなかった。ロベルトもそれを正面から受け止めた。自分の姿は、この男にどう映っているのだろう。そう思った矢先に、男が口を開いた。
「わかった、付き合おう」
簡潔な答えに、ロベルトは瞠目する。
「……意外。決断早いな」
「稼げる話なのだろう」
しれっと言ってのけた態度に、思わず吹き出した。くつくつと喉の奥で笑いを堪える。突然笑い出したロベルトを見て、男は訝しげに眉を寄せた。
「いや、なんていうか、変わってる」
今度は首を傾げられる。推測するに、なにが変わっているんだ、といったところか。
「俺はハズレかも、って言ってるのに、あんたは稼げるってさ。しかも、会ったばっかりの人間の話を」
「人を見る目はある」
さらりと言ってのけた台詞も、これまた大胆かつ自信に溢れている。ロベルトは笑ってしまうのを堪えられなかった。
「はは! おもしろいなお前!」
気難しい人間かと思えば、予想を裏切ってくる。男に向き直り、ロベルトは手を差し出した。
「俺はロベルト。術士で、弓も使う」
「グスタフだ」
グスタフがロベルトの手を取った。
酒場を出たロベルトとグスタフは北へ歩を向けた。
目的地は木立を二時間程度進んだところにある。その距離ならば既に探索した者がいてもおかしくないが、地下へと続く洞窟の入り口には、人が立ち入った形跡がなかった。
その理由は、ノースゲートの脇を流れる川にある。ノースゲートを拠点にする冒険者は、補給を考え川沿いに西へ進むことが多い。逆に、大きな水源が見つかっていない村の北側は立ち入る者が少ない。
「……ってわけだから、未開拓。近場だし、二人で行くにも危険が少ないんだ」
簡潔に説明を済ませ、OK? と返事を求めると、グスタフは首肯だけを返した。
グスタフと名乗ったこの男は、予想通りちっとも顔色を変えない。愛想笑いがないのは当然、不快や疑問の表情すら見せない。先の酒場でのやり取りも最低限の言葉しか発さなかった。典型的な、無愛想で取っ付きづらいやつ。
だが、それがなんだとロベルトは思う。酒場で一目見た時から、今日は絶対にこいつと付き合ってやろうと心に決めていた。
だって、絶対におもしろい。
初対面の交渉だから余計な言葉は我慢したが、本当は質問攻めにしたくてしかたがなかった。ヘアスタイルも、衣装も、武器でさえ、ほかでは見たことがない。見た目は強烈な個性を主張しているというのに、それを纏う本人はこの素っ気ない態度だ。裏腹と言うべきか、アンバランスと評するべきか。ともすれば、怪しい奴だと忌避されかねない男。それが、どうしようもなくロベルトの興味を引いた。
ここからはロベルトの得意分野で、腕の見せ所だ。
「ヴィジランツ歴二年って言ってたよな。どこでやってたんだ?」
唐突な印象を与えないよう、既に得たカードから当たり障りのない問いを投げかける。隣を歩くグスタフがちらりとロベルトを見た。案の定、感情は読み取れない。
「東大陸……ヴェスティアの辺りで」
「ああ、あの辺から来たってやつは多いなあ」
「お前もか?」
グスタフから質問を返されて、おっと内心で驚くと同時に喜ぶ。全く言葉を交わしたくない、というわけではないようだ。
「いや、俺はデビューがここで、ヴェスティアには行ったことないな。あ、でも出身はメルシュマンだぜ」
「そうなのか」
「向こうは行商とか鉱山の護衛の仕事が多いらしいな。こういうクヴェル掘りは下火だって聞いたことがあるけど、ホント?」
「……ああ。探索行もあったが、大した報酬ではなかった」
「へえ……じゃああれか。冒険もしたいし、報酬も欲しい。だからノースゲートに来た、ってところ?」
そこで、グスタフの返答が途切れた。ロベルトに向けていた目線が伏せられている。僅かな素振りの変化だが、なにかを考えている姿に見えた。もし、答えたくないのだったら、適当に肯定をすればやり過ごせる。わざわざ考えなくたっていい。そうしないのは、やはり、交流を拒むつもりはないと捉えていいだろう。
あんなに刺々しいアニマをまき散らしていたくせに!
よくわからない奴だ、とロベルトは思う。そして、こいつをわかってみせたいと思う。わからないものを解き明かすのは楽しい。人に対しても、それ以外のことも。
ロベルトが北大陸を拠点に活動しているのは、まさしく今、自身が口にしたことが理由だった。整備された街道を歩くだけなんてつまらない。未知が広がる場所で、自分と同じように未知を好む者と同じ時を過ごせるのなら、それはなんてわくわくするだろう。
「……知らないところに行きたかった」
「え?」
思考が飛んでいたロベルトには、グスタフの言葉が唐突なものに聞こえた。それが呆けた表情に見えたのだろう。一呼吸の間を挟んで「北大陸は未開拓の地が多いだろう」と補足される。それを聞いて改めて会話の流れを反芻し、思わず
「いいな、それ!」
と大声を上げた。グスタフがかすかに瞠目する。驚かせてしまったか。まあいいだろう。
「知らないところって楽しいよな。なにが出てくるかわからないのが最高に楽しい! それだけ危険と隣り合わせなのは間違いないが、そうじゃない冒険なんて、つまらないだろ」
「お前はそう考えているのか」
「お気に召さなかったかい?」
挑戦的な笑みを作ってみせると、グスタフは眉を寄せて「いや、そういうわけでは……」と語尾を弱めた。明らかにたじろいでいる。こういうからかいは苦手なのかな、と予想する。ひとまず冗談の類いは控えた方が良さそうだ。
「ま、考え方の合う合わないはどっちでもいいさ。なんにせよ少なくとも今日一日は付き合ってもらうからな……っと」
片手でグスタフを制し、足を止めた。少し先に獣のモンスターがいる。膝丈ほどの大きさがある。決して小さくはない犬狼系のモンスターだ。すぐにグスタフも気づいたようで、纏うアニマがピリッと張り詰めた。素早く視線を巡らせ周囲の気配を探るがほかにモンスターの姿はない。一体のみ、おそらくはぐれ。ぴくりとも動かないところを見るに、こちらの存在に気づいているだろう。
「基本的には、無駄な戦闘は避けたい。特に道中はな。目当ての洞窟にたどり着く前になにかあっちゃ元も子もない」
声を潜めて自身の探索方針を伝える。グスタフは静かに頷いた。
「けど、あいつは進行方向にいる。俺達が近づいて逃げてくれたら一番だが、ありゃたぶん若い個体だ。向かってくるだろうな」
ロベルトはモンスターから視線を外し、グスタフを見つめた。緑色の瞳はまっすぐにモンスターを捉えている。言わんとすることは察しているだろう。
「俺はここから援護。お前は前に出ろ。いいな?」
「ああ」
「物心ついた時から鍛えてるって技を見せてくれよ」
軽口を叩くように、しかしその実は真剣に。これは、グスタフのヴィジランツとしての技量を測る、一種の試験だ。推定十数年の鍛錬と、二年の実績。それが如何程のものか、ロベルトは品定めするつもりでいた。
頷いたグスタフは、一見、なんの警戒もないように歩き出した。確かに、気づかれている以上隠れる意味はないが、剣を構えもせずに近づくのは相当な胆力がいる。それも、相手は一体だけとはいえ、彼は北大陸に来たばかりでこの地のモンスターを全く知らないだろうに。
いつでも攻撃に入れるよう弓を握り込む。唸り声が聞こえた、と思った瞬間、獣が土を蹴った。グスタフが身をよじる。飛びかかりを避けたすれ違いざま、鋼の大剣を振り上げた。宙を舞ったモンスターの腹が裂かれる。致命傷。だが即死じゃない。ロベルトは瞬時に矢を放った。アニマを込めた鏃が首に突き刺さり、ぼとりと落ちた。
一呼吸の攻防。短すぎる決着だったが、グスタフの腕を見るには十分だった。
「お前、やるなあ」
剣を一振りして血を払ったグスタフに近づく。その顔色は戦闘直後とは思えないほどに凪いでいた。本当に、表情の変化に乏しい。ロベルトのねぎらいに対しても、短く「いや」と応えただけだった。偉ぶりもせず、喜びも見せない。
思わず「褒め甲斐のないやつだなー」と漏らしてしまうところが、良くも悪くもあけすけなロベルトの性格である。そして口にした直後に、今のは言わない方がよかったかも、と反省をする。軽口はやめておこうと思ったばかりなのに。一方のグスタフは何の反応も見せなかった。腹を立てたのか、面倒だからと無視をしたのか、密かに傷ついているのか。さっぱりわからないロベルトは、開き直ることにした。
「すごいと思ったのは本当だからな? そのでっかい剣をあんなに軽く扱うなんて信じられないよ。いや、そんな鉄の剣持ってるやつもお前以外見たことないけどさ、めちゃくちゃ重いだろ? なのに避ける時も無駄な力が入ってないっていうか、流れるような動きっていうか、物心ついた時から剣を使ってるってのも納得したぜ。そもそもまっすぐ向かってくる相手に、あんなに冷静に対処できるのがさあ」
「わかった。ありがとう」
「いーやまだだめだね。俺の感動は全然伝えきれてない!」
「十分わかった」
グスタフが肩をすくめてみせる。これは、呆れているという仕草だろうか。照れる素振りでも見せてくれたら可愛げもあるのに。もしかして、褒められるのに慣れていて、これくらいなんとも思わないのかもしれない。
であれば、とロベルトは方向転換をする。「こっちを使うところも見たいな」ともう一振りの真っ赤な剣を指差した時だった。
電撃が走ったような衝撃。痛みとも熱とも取れるが、そのどちらでもない。当然だ。実際にはなにも起きていない。ただ、目に見えないものがロベルトの身体を駆けていった。
剥き出しの、拒絶のアニマだった。
一歩後ろへ、グスタフが不自然に距離を離す。そっと顔を上げた先、グスタフの視線は外れていた。泰然とした面持ちに険が差したように見えるのは、きっと気のせいじゃない。
「……いずれ」
声音が固い。これは、踏み込みすぎたのか?
「機会があれば頼むぜ」
無難な返答をして会話を切り上げる。ここまでの反応から思いのほか普通のやつだと判断し、油断した。思いもよらないところに、ドラゴンの尾が潜んでいるのかもしれない。
ロベルトがグスタフを測っているということは、その逆もまた然りということである。雇用主として信用できるか、仲間として頼りになるか、人として問題がないか、どうか。試されているのは同じだ。
この打ち解けない沈黙は、ロベルトには許せるものではなかった。すう、と一息吸って、見せ場は全部お前が持って行っちまったから、とロベルトは自分の戦闘スタイルについて改めて伝えることにした。説明の合間で一呼吸つくたびにグスタフは「ああ」「そうか」「わかった」と平淡な調子で相槌を打った。興味があるのかないのか、わからないながら、律儀で真面目なことは確かなようだ。
木々が立ち並ぶ森の中、地面が緩やかな斜面をつくりはじめたところに、突如四角い穴がぽっかりと口を開けた姿をさらした。件の洞窟だ。一番最初に見つけた時は、茂みと低木に覆われてほとんど見えなかった。わかりやすいように掘り起こしたのはロベルトだ。
口の縁は不揃いな岩で固められている。奥は暗闇に塗りつぶされているが、日が届く手前のところは、地面が階段状になって続いているのがはっきりと見て取れた。
躊躇なく踏み入れ、階段を下りていく。最初は天井が低く、しゃがんでも頭をぶつけてしまうくらいだったが、日の光が小さくなるにつれ、普通の姿勢でも十分に歩けるようになっていく。真の暗闇に飲まれる前にロベルトは燈に火を灯した。足元を照らしながらさらに階段を十段も下りると、もう洞窟の底だった。ここまで来ると、壁も天井も人の手で積まれた岩ではなく、押し固められた土肌になっていた。
「さて、グスタフ」
振り返って後ろをついてきていたグスタフの顔色を窺う。やはり特に変わった様子はなく、平静そのものだ。閉鎖的な環境にうろたえたふうはない。一つ安心してから、ロベルトは道の先を指さした。
「このままずっと行くと、道が左右に分かれてる。今日はその右側を調べる」
グスタフは首肯したが、同時に、わずかに眉を寄せたように見えた。それに気付いたのは、暗がりの中、手元の灯りで照らされて、陰影が強く出ていたからかもしれない。感情表現の乏しいやつだと思っていたが、もしかしたら、こうした微妙な変化はこれまでもあったかも――過ぎたことはともかく、今の気づきをそのままにするつもりはない。
「なんかあった?」
率直に尋ねると、グスタフははっとしたように二三瞬き、一度振り返って地上への階段を見上げた。それからロベルトへ向き直り「一つ気になることが」と話を切り出した。
「ここには複数人で来て、引き返したのか?」
質問を受けて、ロベルトはおや、と軽く目を見張った。表情の変化を見たグスタフが目を細める。物言いたげな視線を受け、さらにロベルトがにやりと口元を緩めて腕を組んだ。
「そう思った理由は?」
「階段が平らだった。一人の足で踏み固めたとは思えない程度に」
「それだけ?」
「お前が言った通り比較的近場ではあるが、一人で探索するには危険な距離だ。水場が見込めず、人があまり立ち入らないエリアというなら、なおさらだ」
こいつ、ちゃんと話聞いてるんだなあ。出発してすぐの時にした説明を踏まえての考えを述べられ、ロベルトは素直に感心する。ああいった理論の話は、実体験を通さないとなかなか頭に入らないっていうのに。少なくともロベルトはそういうタイプだった。
「お前の言葉に嘘がないなら、複数人で来て引き返した、ということではないか」
「お前の考えは半分正解」
もう一度道の先を指さす。今度は、爪先を少し左に向けて。
「道が左右に分かれてるって言ったろ。その左側を何日か前に探索したんだよ。他のやつらと組んで」
「つまり、今から行く右の道は本当に未開拓というわけだな」
「まあ、そういうことになるかな」
「右を見なかった理由はなんだ」
「それは行ってからのお楽しみ、ってね」
はたして、洞窟内は二手に分かれていた。
入り口と同じように、分かれ道は人の手で積んだと思わしき岩で形作られている。左に緩くカーブを描く道は、先ほどの説明通りロベルトが以前探索した場所だ。その逆、右側は手付かずである。なぜそちらは探索しなかったのか、というグスタフの疑問は一目で解消された。
「俺が今日見たいのは、ここ」
ロベルトが指し示したのは、道ではなく壁だった。というのも、アーチ状に積まれた岩の内側が道ではなく壁になっている。分かれ道の片方だけが埋められている状態だ。
表面は平らに均され、明らかに人工物だ。グスタフは壁に触れて確かめる。
「漆喰のようだ」
「うん。わざと埋めてあるみたいなんだ」
頷いたロベルトが燈を頭の横に掲げた。照らされた壁にスプーンで掘り返したような傷がついている。
「これは前に来た時に俺が掘った跡」
腰に吊るしていた短剣を抜いて傷の位置にあてる。
「壁の厚みは大してないが、奥に板がある」
「板?」
「ナイフで刺した感触の話だけどな。間違いなく木だ」
短剣を抜き取ると、くるりと縦に回して持ち直し、柄をグスタフに向ける。お前も試してみろ、という無言の意図を汲んで、グスタフが短剣を手に取った。ロベルトの行動を真似て、何度か刃を突き立て「確かに」と頷く。
「俺の見立てじゃ、この奥に扉があって、通路が繋がってるか部屋があると思う」
「なにか感じるのか?」
「それが、なーんにも」
大袈裟に肩を竦めて見せる。グスタフは表情を変えずロベルトを見ている。怪しむような素振りはない。単に、話の続きを促されているのだと判断する。
「なんにも感じないから、ほかのやつらと来た時は左側しか見れなかった」
指さした通路の先にあったのは、共同墓地のようだった。構造自体は坑道によく似ていて、入り組んだ道の所々でいくらかのチップは見つかったが、規模に見合う成果ではなかった。
そんなことがあって、この洞窟はハズレだという結論になり、撤収したのだ。
「でも俺はどうしてもここが気になって、ほかで付き合ってくれるやつを探してたわけ」
グスタフの反応を窺うが、これといったものはない。賛成も反対もしないから、さらに話を進める。
「そういうわけだから、これ持ってそっち下がってろ」
グスタフに燈を預け、今来た入り口側の通路を指して距離を取るよう指示する。
「壊すのか」
「ああ。術で派手にドカンと……ここが全部崩れないくらいの具合でな」
あの時もこの壁を壊すことを提案した。だが、既にこの洞窟にはろくなものがないと断定していたことに加え、崩落の可能性が拭えない、と却下されたのだった。
「待て」
「なに」
「私がやる」
予想外の言葉だった。こいつも反対するのか、と落とした肩がぴょんと跳ねる。
「お前が?」
「ディガーを守るのがヴィジランツの役目だ」
グスタフはどこか憮然とした様子で言い放った。
なるほど、とロベルトは合点がいく。やっぱり、真面目なやつだ。でもその認識が全ての瞬間に通じるわけじゃない。
「グスタフ、お前の言うことは間違いじゃない。だけどこれは責任の話だ。危険を承知で探索したいのは俺。お前が賛成して協力してくれるとしても、あくまで俺がやりたいこと。だから俺が責任を取る。そこは勘違いするな」
グスタフは頷かない。了承だろうと拒否だろうと、明確に意思表示をするタイプだということは判明している。そのどちらの返事もないのは納得していないということだ。であれば、角度を変える。
「それとも、俺の術の腕がわかんないから信用できないって?」
「そうは言っていない」
「じゃあなにが不満?」
「不満ではない」
立て続けの問いかけには明確な否定が返った。
「今までの仕事相手とは違うことを言うから、戸惑った」
ふうん、とロベルトは目を細める。
「それなら、今までの仕事相手のことは置いといて、お前はの意見を聞かせてくれよ、グスタフ」
「私の?」
「だって不満じゃなくても納得はしてないんだろ」
戸惑いをあわらにして黙り込んでしまう。こういう態度にロベルトは覚えがあった。使われる側で、誰かに従うだけで、意見を求められたことがあまりない。だから自分の考えが希薄――そういう人間は、ロベルトが求めるパートナーたり得ない。
ただ、グスタフがそれに当てはまると断ずるのは早計だ。なにせ、洞窟に入った時には、こちらから尋ねたのがきっかけとはいえ、自身の考えをしっかりとロベルトに伝えた。それも、見聞きしたわずかな情報を元にした疑問だった。ちゃんと話を聞いているし、観察眼も悪くないし、それを考察する頭も持っている。それを思うと、今、口を結んでいるのが不思議だ。ひとまず、助け船を出すことにする。
「まず、ここを壊すことは賛成? 反対?」
「私だったら触らない。だが、お前がそうしたいと言うなら手を尽くす
ある程度予想していた答えが返って、ロベルトは唇を曲げた。意見は表明してくれたが、結論はなんとも主体性がない。それじゃあ結局俺の言いなりってことじゃんか――口をつきそうになる文句を飲み込む。こういうのは後にして、先に話を全部聞き出すべきだ。
「じゃあ壊すとして、俺とお前、どっちがやるかってのは?」
「それは……もう一度、考えを聞かせてほしい」
きょとんとしたロベルトにグスタフが「責任と言っただろう」と言う。
「責任を取ることとディガーが矢面に立つことがなぜ同列なのかわからない」
その疑問への答えが、頭の中でうまく言葉がまとまない。一歩踏み込んで、衝動的に「だって、命を預ける相手だぜ?」と声を上げた。
「そりゃあ、大勢の探索行、ってんなら話は違うのかもしれないけどさ、俺はそういうの参加したことないし……それに、ここには俺とお前しかいないんだぜ? 今回みたいにディガーとヴィジランツが一対一で組むことだって珍しくない。それを、俺とお前を、雇った側と雇われた側で分けるのは違うと思うんだよ。お互いに助け合わないと、一方通行じゃだめなんだよ」
まくし立てはしたものの、質問の答えにはなっていないと自覚していた。グスタフは真剣に聞いているけれど、まだ納得したようには見えない。
「ああもう、説明が難しいな……」
そうしたいと思ったこと、そうすべきだと思ったことを伝えるのは難しい。ロベルトにとっては、今さら考えるまでもない当然のことだからだ。グスタフだって、ディガーを守るというヴィジランツの役目を果たすのが当然だと思っているのだろう。だから、納得できない。平行線は交わることがない。
「……それにさあ」と渋々口を開く。「グスタフは北大陸に初めて来たんだよな?」
「そうだが」
「で、これがここでの初めての仕事だろ?」
「それがなにか」
「なのに、俺のせいでひどい目にあって、それで取り返しのつかないことになったら、後悔してもしきれないっていうか。嫌なんだよ」
グスタフが目を丸くした。驚くのも無理はない。これといった親睦を深めたわけでもない初対面の、それも雇用関係の相手に情を寄せ過ぎだと言いたいのだろう。だけど初めての仕事なら、なおさら悪い思い出は作ってほしくないというのが人情じゃないか。
命を預ける相手だから、と言った同じ口で、ひどく甘い考えを述べている。その自覚はあってもロベルトは性分を曲げることができない。甘さが命取りになることだって十分ある。親しんだ仲間ならまだしも、そうじゃない同業者相手に、この甘さは悪印象しかないはずだ。
ところが、ロベルトの危惧とは正反対に、グスタフはなんでもないように頷いてみせた。
「そういう理由なら、破壊はお前に任せる」
「えっ? 今ので納得したのかよ」
「お前の言うことはまだわからない。だが、お前自身を信用する価値はあると思った」
グスタフがどうしてそう判断したのかはわからない。聞いたら教えてくれるかもしれない。ただ、グスタフの凪いだ表情に、嘘はないと思った。ロベルトにはそれだけで十分だ。
「そりゃ、光栄だ」
ニッと笑って見せて、ロベルトは再度グスタフに離れるよう言った。自身もできるだけ壁から距離をとる。
硬い岩盤を掘り進める時は爆発を主とするが、ここでは威力が出過ぎる。もう少し範囲を抑えて、鋭く、突き貫くイメージだ。それを増大させるためにもう一つシンボルを混ぜる。樹を始動に、音で拡散する。方針を定めたロベルトは壁に向けて腕を伸ばした。先に掘り返した壁の中心を狙って、集中、発動――鏃を象ったアニマが壁を突き抜いた。
耳をつんざく音と共に洞窟内が振動し、濛々と土埃が舞い上がる。下ろそうとした腕を不意に強く引っ張られ、ロベルトは「うおっ」と声を漏らして後ずさった。よろけたところを肩を抱かれ支えられる。乱暴なんだか丁寧なんだか。首を巡らせるのと同時、素早く前に出たグスタフが剣を構えた。崩落を警戒しているにしては妙な体勢だな、と思ったところではたと気がつく。警戒しているのはモンスターに対してか。
グスタフの肩口から顔をのぞかせて、術を当てた壁を確認する。穴は、空いている。子供なら通り抜けられそうな狭さだが、周囲を崩せば問題ない。砂埃が収まるまで待って、ロベルトはグスタフの肩を叩いた。
「大丈夫そうだな」
「ああ、モンスターの気配もない」
「俺、そこまで考えてなかったわ」
剣を下ろして振り返ったグスタフが「そこまで考えてくれ」と苦言を呈したのを、ロベルトは笑ってごまかす。なにはともあれ、洞窟が崩落することもなく、モンスターが飛び出してくることもなく、壁の向こうに空間があることがわかった。これでようやく探索を始めることができる。壊しきれなかった土壁を崩し、その奥に残った板を蹴破る。これはロベルトの想像に反して、扉ではなく継ぎ接ぎの板だった。空間を封鎖し、隠していたという仮説が強固になる。わざわざそうしたからには、なにか特別なものが眠っているに違いない。期待に胸を膨らませて、穴の先に踏み入れた。
燈の炎が揺らぐ。ロベルトが掲げた光だけでは、内部は充分に照らされなかった。
隠されていた通路の先はいびつながらドーム状に掘られている。天井こそ低いが通路ではない。十分な広さがある空間のようだった。
壁や地面が時折煌めく。鉱石か何かが光を反射させているのだろう。掘り起こせばツールにでも加工できるかもしれない。
炎を強めようと掌に意識を集中させたロベルトは、ふと違和感を覚えた。燈を近づけてよく見るが、おかしなところはなにもない。もしかして、とロベルトは眉を寄せた。術力が弱まっている?
なぜ、こんな突然。もう一度アニマを引き出そうと集中し、そこで違和感の正体に気がついた。外的な要因でアニマが遮られている。
であれば、その要因はなにか。今日の同行者は鋼の塊を携えているが、真横にでも立たない限りその阻害効果がロベルトまで及ぶことはない。それは道中で確認済みだ。
ここまでは問題なかった。つまり、理由があるならこの場所だ。顔を上げてぐるりと部屋の中を見渡す。揺らめく光源にあわせて鉱石らしきものがちかちかと光る。「なあ」と部屋の入り口に佇むグスタフに声をかけた。
「この光ってるやつって、もしかして金属か?」
「……鉄だな」
抑揚に欠けたグスタフの返事を聞き、ロベルトは内心舌打ちをした。モンスターを相手取る時は術による攻撃がメインだ。それに加え、前衛一後衛一のこの構成で補助術も担うのはロベルトしかいない。今は気配がないとはいえ、心許ない。
ロベルトの苛立ちを納めるように、燈に手が翳された。炎が大きくなって揺らぎが止まる。隣に顔を向けると、視線が交差した。
「探索を」
ぱっと離れたグスタフは抜き身の剣を手にし、奥へと目をやった。うん、冷静にならないと。
辺りに散らばっている樽や箱の中身を確かめるのが先だ。だがそれらはほとんど空っぽだった。想定内ではある。数日前の探索がそうであった。ただ、こちらの部屋には違う物がある。
「あとは、あの大物かな」
腹に力を入れたロベルトは、まっすぐ暗闇の奥を見つめた。燈を持った手を掲げると、台座と、そこに備えられた細長い木箱が姿を現した。ほかの箱とは違うのは、蓋がついていること、そしてロベルトが両腕を広げても収まらないほどに大きいことだ。これほどの大きさだと何が入っているのか見当もつかない。ツールやクヴェルであれば万々歳だが、モンスターが潜んでいたら開けた瞬間に顔面に飛びつかれてもおかしくない。不用意に触るのは憚られた。周囲の鉄の所為か、アニマを捉えることができないのも厄介だ。
どうしたものか。少し離れたところで考えていたロベルトの脇をすり抜けて、グスタフが箱のそばにしゃがむ。じいっと箱の側面を見たかと思うと、「光を貸してくれ」と手招きした。
「なに。なんかあった?」
「古代文字が記されている」
「え、これ?」
手渡した燈で照らされた箇所には、確かに文字のようなものが刻まれている。けれど、ロベルトはそもそもの識字が不得意だった。ごく一般的な下級労働層に生まれたロベルトはまともな学問に触れたことがなく、当然古代文字など読めやしない。ディガーとしてやっていくために算術だけは必死に叩き込んだが、術も弓も、ほとんど独学だ。
少ない知識の中から、古代文字とは如何なるものかを引っ張り出す。
「えーと、つまり、ハン帝国時代の箱?」
「そういうことになる」
「そりゃまた、なんでこんなところに……」
北大陸はここ百年ほどでようやく開拓が進んできた。古代人はこの地にもいたとわかる形跡が残されている。研究者だけでなく民間人も知っている衆知の事実だ。一介の冒険者としては感慨深いものもあるが、それが判明したところで、気安く触れないのは変わらない。
「こういう時、学がないと損だよなあ」
なにが書いてあるかわかれば、箱を開ける覚悟くらいできたかもしれないのに。ため息をつきながらロベルトは隣で沈黙するグスタフを見た。先ほどから口元に手をやって文字を追っている。考え事のようだが、まさか。
「……グスタフ」
「なんだ」
「もしかしてお前、これ読める?」
「単語だけなら。故郷、遠いここ、存在、横たわる、安全、死……だな」
「まじかよ……」
ロベルトは驚愕の余り脱力した。なんで古代文字なんざ知ってるんだ。どういう教育受けてるんだ、こいつ。
胸中穏やかではないロベルトに気づかないグスタフは、「蓋にもなにかある」と文字をなぞって解読を続ける。
「こちらは……向かう、波、立つ人、か?」
「なんだそりゃ。よくわからん」
「なんらかの比喩には違いないが」
「貨物用のメモって感じじゃないよなあ」
返された燈を何気なく箱の上に置いた瞬間だった。ガタンと音をたて、箱の蓋がずれた。二人は飛び上がりすぐさま距離をとる。
隙間から覗いた、骨。ゆっくりと時間をかけて出てきたのはスケルトンだった。錆びれた剣を振るい二人に威嚇する。
「元気そうな骸骨、ってことは、こりゃ棺桶だな」
苦笑しながら、ロベルトは相も変わらず無表情のグスタフに視線をやった。ロベルトの軽口に無言で持って返したグスタフが一歩前へ出る。その動作に合わせてロベルトはじりじりと後退し、ベルトに燈を引っかけた。
「グスタフ、スケルトンと戦った経験は?」
「ある。中原ではよく見る」
「そりゃありがたい。俺はほとんどない」
グールやスケルトンは人間が媒体だと言われている。悪しきアニマに飲まれた人間は、死してなお世界に留まる。だから、古代帝国が栄え、そして滅んだ東大陸の中原には人型のモンスターが多く出没するのだという。その通説が正しいかはさておき、北大陸ではどちらもあまりお目にかからない。はっきり言って、この一戦においてロベルトの冒険者としての経験はほとんど意味がない。グスタフを頼ることになる。
それを、ロベルトはかえってラッキーだと思った。
「なにが効果的?」
「砕くか、叩き潰すか……少なくとも弓の相性は最悪だ」
「術は?」
「火術はよく効くが……」
言い淀んだところで、スケルトンがグスタフに斬りかかった。鈍い金属音が洞窟内に響き渡る。鋼の剣で受け止め、そして押し返したグスタフの動きは危なげない。しかし、今の攻撃の重さを音で量ったロベルトはすぐさま狙いを絞った。
獣と音のアニマを声に乗せ、絶叫する。対象が操るアニマを削ぎ落とす合成術。攻撃を凌ぐには相手の力を削ぐべし。ついでにいくらかのダメージを与えられたら、という狙いもあったが、スケルトンの頭がぐらぐらと揺れただけだった。大したダメージになっていない。
「はは、だめだな」
乾いた笑いが漏れる。だが、これは想定内だ。
発動時、操ったアニマがぼろぼろと端から崩れたのをロベルトは感じた。当然だろう。この空間は鋼鉄で覆われている。壁や天井に埋め込まれた鉄片がアニマの動きを阻害しているのだ。先程グスタフが言い淀んだのもそれが理由だろう。スケルトンに術は効果的だが、この環境で強力な合成術を繰り出すのは難しい、と。
確かに一人であれば不可能だ。だが今は、前衛を任せている仲間がいる。赤い後ろ姿を見つめた。
「グスタフ。詠唱する」
通常、術は意識ひとつでも発動できる。詠唱を必要とするのは、不可視のアニマを凝縮させ精度を上げるためだ。普段は無くとも問題ないが、こんな障害がある場合は詠唱を伴う方が良い。操るアニマそのものは同じでも、より密に練り上げれば簡単には壊れない。
「時間を稼いでくれ」
それはつまり、スケルトンの攻撃を全て引き受けろと言っているに等しい。前衛が一人の状況では酷な頼みかもしれない。だが、グスタフは顔色一つ変えずに頷いた。
「心臓を狙え」グスタフの声には、焦りも切迫感もない。「見えないが核がある」
「わかった」
即答を返した直後、グスタフの肩にぴくりと力が入ったのをロベルトは見た。攻撃に転じるか、と思われた矢先、グスタフは当たり前のように――あまりにも自然な動きで、振り返った。それまでスケルトンから一瞬たりとも目を離さなかった男が、なぜかロベルトを見つめる。ひどく怪訝そうな顔をして、凝視する。
「え、グスタフ……?」
なんで俺、そんな顔で見られてるんだ。
知らず知らずのうちに名前を呟いた直後、グスタフが急な勢いで体をよじった。振り向きざまに剣を叩き下ろす。ギィン! と耳をつんざく音。ロベルトは驚きの声を上げる。見ると、スケルトンがよろめきながら後退するところだった。急展開に全力疾走する鼓動をなだめながら、そりゃそうかと納得する。
敵からしたら、背を向けられた形になるわけで、そこを攻撃するのは当然だ。で、グスタフはそれを察知して逆に攻撃を仕掛けて、油断していたスケルトンは思いっきり喰らった。つまり、グスタフがこっちを見たのは敵を誘うため? それって、めちゃくちゃ危ないし、やってること高度すぎないか……?
状況を整理するロベルトの頭が疑問符で埋まる。呆然としかけて、しかし頭を振った。考えるのは後だ。静かに息を吐いて集中する。
追撃に飛び出したグスタフの一閃は剣で受け流された。復帰が早い。だが、スケルトンの返しの一撃が初撃よりも軽くなっているのが見て取れた。先の術の効果だ。ダメージこそ微々たるものだったが本命の阻害はしっかりと効いているらしい。とはいえ、それだけだ。動きの速さはそのもの変わっていない。致命傷を与えるには大きな隙が必要だ。
「グスタフ!」スケルトンに対峙している背中に呼びかける。「お前の後ろから発動する。一発目は声かけるから、それ避けたら動くなよ!」
こちらへの反応はないが聞いているだろうと信じ、口から息を吐き、術の詠唱を始める。
より集中するなら視界からの情報を遮断した方がいい。
だがロベルトは、目を開いて赤い背中を見つめた。見極める必要がある。
グスタフの戦い方は明らかに変わっていた。鉄がぶつかる鋭い音が絶え間なく響く。先の振り向きざまの攻撃よりも軽い、しかし息をつかせない連撃。反撃は正面から受け止め、避ける時は最小限の距離に留める。間合いを一定に保っているのが見て取れる。相手の出方を窺うような待ちの姿勢がなくなった。ロベルトの頼みを受けての判断だろう。だがこれは、時間稼ぎというよりも、後衛に近づかせないための陽動で囮だ。
もっと慎重にやっていいんだぞ。へばったらどうするんだ。そう思っても、グスタフを止めようともせず、詠唱を続ける。
耳の奥に強い鼓動を聞いた。これは不安の音じゃない。はち切れそうな高揚だ。体の内側が熱く燃え上がるようだった。その高揚感が強固なイメージとなる。手元で生じた音の渦が炎に姿を変えた。
負けちゃいられない。俺だって、いいとこを見せてやらないと!
「燃えやがれ!」
号令と共に術を放つ。声を聞いたグスタフが身を翻し、その直後、轟音と共に放射状の火炎がスケルトンに襲いかかる。しかし、術はスケルトンを焼き尽くすには至らなかった。飛び退った心臓部には届いていない。獲物を捕らえ損ねた火が宙に散らばる。炎のアニマを混ぜ込んだ音術はどうしても速度が出ない。
視界の隅でグスタフが剣を構え直したのを見た。動くな、動くなと念じる。本命は次だから。
練り上げたアニマの奔流がうねる。スケルトンの頭上に散った火の粉がキラリと輝き、明確な意志を伴ってその足元に落ちた。
「ほら、もう一発だ!」
腕を大きく振り上げると、瞬く間に業火が舞い上がった。術は完全にスケルトンを捕らえた。火柱が消えると同時に骨が散らばる。しばらくカタカタと震えていた骨は、しかしそれ以上動くことはなく、やがて灰のように崩れた。