瓦礫が散乱する街に生き物の気配はなかった。魔物の殲滅が完了したのを確認し終えたネーベルスタンは、ようやく肩の力を抜いた。
 小一時間程度ではあるが、規模の大きな戦闘は久しぶりだったうえに、成り行きで撤退の指揮を取った。それも、訓練された兵ではなく寄せ集めの戦士の、おまけに民間人の救助もセットで。若い頃に似たようなことをしたな、と思い出して、しかしあの頃よりはましな指揮ができただろうと評価を下す。
 砂利を踏む足音がして、回顧で緩んだ気を引き締めた。音の方向に顔を向けるとよく知った姿がこちらへ歩いてくるところだった。小さく息をつく。気を張る必要はなかったな、と思ってしまう自分がいる。
「ここは済んだか」
「ああ。おそらく」
 挨拶も無いが、それがナルセスという男だ。撤退の支援を頼んでいたが、それも終わったのだろう。そのナルセスは、頭のてっぺんからつま先までを遠慮なしに観察している。どういう意味の視線だ。と疑問に思ったのを察知したのか、「怪我は」と短く問われた。けれど、まだ脳が興奮状態にあるのか、怪我の痛みと単なる疲労がないまぜになってよくわからない。
「打撲がいくらか……? だがどこも折れてはいない。問題ない」
 それに、多少の怪我に構っている暇はないだろう。突然の襲撃だった。民間人にも被害が及んだうえに、その全容は見えない。魔物の撃退に成功したら、次は怪我人の治療、そして復興だ。これはダリアスらの帰還を待つしかない。
 皆の元に戻るか、と踵を返そうとした時、ナルセスが手を伸ばした。その指が頬に触れた途端、ピリリと刺すような痛みが走った。切り傷ができていたらしい。
「あー……不覚だな」
 頬に触れたままのナルセスが眉を寄せた。明らかな不機嫌の表情、次いで長いため息。これは、呆れられている。嫌味でも言われるかな、と予想したネーベルスタンだったが、それは裏切られた。
「ままならん」
「なにが」
「こんな傷も治せない」
 その一言で思い違いを自覚した。不機嫌は治癒術を使えないことに対して、だ。
 異世界だけあって、というべきか、バンガードでは術を自在に操ることができない。装備で補うこともできるが、それでなにもかもを解決できるわけではなかった。ナルセスの場合は、治癒の水術が使えなかった。
 元の世界で行動を共にしていた頃は、ナルセスに治癒と補助のほとんどを任せていた。それがこの世界ではできないのだ。
 ままならないと言った。その言葉の裏、奥深くにあるものを感じた瞬間、ネーベルスタンは咄嗟に、頬に触れている腕を掴んだ。
「いや、効いた」
 ナルセスの不機嫌が怪訝に変わる。それからほんの少し間を置いて、思い切り顔を歪めた。
「おい。思い上がるな。離せ」
「もう少しいいだろ。お前から触ってきたんだし」
「良くない。調子に乗るな、浮かれるな!」
「いいや、浮かれもする」
 指先の体温がじわりと上昇したのはきっと気のせいじゃない。

書き納めベルナルでした。めっちゃ急いで書いた記憶
20221231

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