「今日からここはお前の家だ。なにか必要なものがあったらなんでも言え。すぐに揃えてやる」
 ギュスターヴ様にそう言われ、与えられた部屋は、なにもなかった。
 尖頭アーチの窓がひとつ、日が差すだけの四角い部屋。ぐるりと見回して一人で使うには広いと思ったが、聞くと、これでも一番狭い部屋なのだという。
 その情報に誤りはないのだろうが、俺は、兵舎の居室が六人で一部屋だということを知っていた。そっちなら空いているベッドくらいあるだろうに。疑問をそのまま尋ねると、むすっとしたギュスターヴ様に
「お前は私の専属護衛なんだぞ」
と額をつつかれた。言われてみれば、兵舎の生活は消灯も食事も厳格に時間が定められている。それに従っていたらギュスターヴ様の護衛が務まらない。考えが至らなかったことを謝罪する。だけど、ギュスターヴ様の不機嫌な顔はそのままだった。強引に話を切り上げられてしまう。なにがまずかったのかは後でヴァンに聞いてみることにして、まずは目の前の課題だ。
 必要なものを、まず一つ。その場でお願いをして、ベッドを窓の反対側の壁に寄せて置いた。マホガニーの濃い色で塗装された枠に、この部屋と同じ、真白のシーツが被さっている。シンプルな寝床。
 すぐに思いつくのはこれだ。床でも寝ることはできるだろうが、たぶん、そんなことをしたら怒られる。
「着替えの用意もいるよね」
 ヴァンに同意を求められて、確かに。今すぐ必要なものがもう一つ。衣装箱をドアの向かいの壁、ベッドの足の先の角に置いた。高さは膝に届かない程度、横幅はなんとか両手で抱えられる程度の、トランク型の、蓋には鍵までついた革張りの箱。
 身一つしかないから、今入れるものはない。と思って開けたら、すでに夜着が一着入っていた。

 他に欲しいものはと問われても思い浮かばなかったので、部屋の中にはベッドと衣装箱だけを置いて、それで終わりになった。
 家具を二つ置いて、部屋は部屋らしくなった。俺は毎日ここに来ると、着替えて、ベッドの中で夜が明けるのを待った。





 一歩踏み入れるなり、ダイクはなにかを探すようにきょろきょろと部屋中を見回した。
「なんだよ、この部屋灯りがないじゃん」
 ヴァンが本当だ! と驚くのと、俺がそういえばと頷いたのは同時だった。
 灯りがないことに気づかなかったのは、単に、必要としていないからだった。夜にこの部屋ですることは着替えて寝るだけ。窓からの月明かりがあれば着替えはできるし、そうでなくても夜目がきく。暗闇には慣れていた。
 と、俺が言う前に、引き出しがついた正方形の小さな机と、金色に輝く燭台が持ち込まれた。ベッドの横、頭のすぐ隣に置かれる。口を挟む暇はなかった。
 ダイクが引き出しの中から蝋燭を取り出して燭台に備える姿を見ながら、使うことはあるのだろうかと考える。今まで暗闇で問題なかったのだから、わざわざ火を灯す自分の姿が浮かばない。
「俺は、部屋なんて寝れる場所があればいいと思うけどさ、でも灯りは絶対欲しいな。暗いと周りが見えなくなるから」
 かざしていた手が離れると、蝋燭の先に小さな灯がついていた。日が差す部屋の中では晴らす暗闇がないから、灯りの恩恵は感じられない。ふっと息を吹きかけると、火はいともたやすく消えた。

 言われたからには一度くらい使うのが礼儀だろうか。その夜、俺は部屋に入って真っ先に燭台に向かった。昼間に見た時と同じように手をかざして火をつける。ボッという音を聞いて蝋燭を覗くと、ぼんやりと明るくなっていた。小さな灯りだった。この程度なら月明かりの方がよっぽど明るいだろう。
 そこではたと気がついて、納得した。月がない夜に使えばいいのか。この部屋をもらってから、まだ三日しか経っていない。それに、夜間にヴァンやダイクがここを訪れることもあるかもしれない。二人は暗闇ではなにも見えないだろうと思った。そんな機会はないかもしれないが。
 昼間の光景を思い出して、それから、もう一つの可能性に思い当たった。もしかしたらダイクは、月もない暗い部屋で過ごしたことがあるのかもしれない。





 ハン・ノヴァに来てからたくさんの人と知り合った。その中でも、他より少し特別な人がいる。それが、ギュスターヴ様とヴァンの先生であるシルマール様だ。
 サソリの苦痛を和らげ、毒の進行を遅らせる薬を煎じている。今や、俺が生きていくうえでなくてはならない。そういう意味でも特別だが、シルマール様は、それ以外の、なにかが違う。そういう人だった。
 そのシルマール様が、近くハン・ノヴァに来るという。
「お前の様子が気になるそうだ」
 ギュスターヴ様は相変わらず少し遠回しな言い方をする。でも、最近ではそれにも慣れてきた。つまり、シルマール様は俺に会うために来るのだ。
 初めて会った時は医局のベッドの上だった。その次はギュスターヴ様との面会のため、応接間で。今回はおそらく、俺の部屋だ。
 だから、俺は真っ先に、椅子が欲しいとギュスターヴ様にお願いした。
 丸い天板を一本足で支える小ぶりなテーブルと、四つ足の椅子が三つ。色はベッドと同じマホガニー。シルマール様を迎えるのに立たせるわけにはいかないと思った。
「でも、テーブルのことが頭にないのはヨハンらしいね」
 ヴァンがニヤニヤと笑う。俺が手配を頼んだのは椅子が二つだったのに、部屋に運ばれた物は、テーブルと椅子が一つずつ増えている。横で話を聞いていたヴァンが、俺に黙って追加した、らしい。
「そうそう、前に先生が仰ってたよ。部屋を見るとそこを使ってる人のことがわかるんだって」
 家具の大きさ、形、色取り、配置。そこに個性が表れるらしい。
 ヴァンと顔を見合わせた。二人して、改めて部屋を見渡す。色取りや家具の形どころじゃない。わかりきっていたが、物がなさすぎる。
 もう一度ヴァンを見る。ヴァンは、半眼でじっとりと俺を見つめている。
「今更取り繕おうとか思わないでよ」
 思ってない。





「ところで、部屋は寒くありませんか?」
 満を持して迎えたシルマール様は、一通りの話が終わった後にそんなことを言った。
 部屋という単語に俺とヴァンが揃って「えっ」と声をあげてしまったのは、数日前の会話のせいだ。それを知らないシルマール様が不思議そうに首を傾げた。
「え、と……先生、どうしてそう思うんですか」
「そうですねえ、私の家は床が木材だからでしょうか」
 石造りのハン・ノヴァは、個人の部屋も当然、天井から床までが石で覆われている。磨き上げられてピカピカの石だ。肌寒い雰囲気がするのは、おかしな感覚じゃない。
「ああ、絨毯がないからかもしれません」
 シルマール様が笑ってそう付け足した瞬間、ヴァンと俺は顔を見合わせていた。がっかりしたような、悔しいような、そんな顔で。最近、よくこうしている気がする。
「無理に敷く必要はありませんが、あると違いますよ。特に、ベッドの下なんかに」
 その言葉通り、後日、部屋に絨毯が敷かれた。生成色にカーマインの刺繍が入った縦長の絨毯。赤は派手じゃないかと思っていたのに、意外と目立たない。それ以降、ベッドに上がる時は靴を絨毯の上に揃えて置いている。
 寒さに関しては、元から気にしていなかったから効果はわからなかった。が、靴の定位置ができただけでも良い気がする。
 そのことを、ヴァンからシルマール様に手紙で伝えてもらった。読み書きができればヴァンに頼む必要もなかったが、きっと、自分ではうまく伝えられなかっただろう。

むかぁーし書き止したヨハンの部屋シリーズ。まだネタはあるのでそのうち続きます。でもその前に無理!てなって消すかもしれない。
150311 執筆?
210124 加筆修正

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