「明日まで護衛解任」
 そう宣言された時、ヨハンはショックを受けるでもなく、戸惑うでもなく、むちゃくちゃなことを仰る方だと呆れた。呆れたが、ギュスターヴがそのむちゃくちゃを通すのは珍しくないと知っていたから、不満を隠そうともせず渋々頷いた。だというのに、ギュスターヴがにっこりと笑って満足げに頷くだけで、ヨハンは素直に従うべきだと思ってしまう。そうでなくとも、問答となるとヨハンに勝ち目はない。二人に丸め込められる形で、ヨハンは黙ってベッドに入った。その隣にヴァンが転がる。
「大丈夫? 狭くない?」
「ああ」
 ヴァンは同世代の少年よりは小柄だ。同じベッドに入ること自体に問題はない。気にかかるとしたら、人の体温が間近にあることが、少し落ち着かないくらいで。
「ヨハン、ちゃんと寝るんだぞ」
「僕が見張りますから!」
 駄目押しに釘を刺したギュスターヴに対して、ヴァンが胸を張るように声を上げる。当のヨハンは、どうだか、と胸の内で毒づいた。普段は宮廷仕えの箱入りで、たった数回野宿をしただけで半泣きになっていたぼんぼんの少年だ。今まで満足に休めていなかったことに加え、今日も散々歩いて、疲労困憊なのは見て取れる。目を閉じた瞬間に寝息が聞こえてもおかしくないだろう。ギュスターヴも、おそらくすぐに眠るはず。
 そうして二人ともが眠ったら、ヨハンはこっそり起きだして見張りをするつもりだった。明日まで護衛解任。ならば、月が西に傾き始める頃に護衛としての任に戻っても問題はない。屁理屈の自覚はあったが、屁理屈も立派な理屈だと開き直る。第一、こんな、民間の誰もが利用するような宿で、鋼の十三世ともあろう者が呑気に眠れるわけがない。いついかなる時でも刺客を警戒すべきだ。すぐに手が届くベッドの下に風伯を置いたのもそのためだった。
 そんなことをヨハンが考えているとは露程も思っていないヴァンが不意に、あれ、とつぶやいた。
「どうした」
「うん……いつもは寒いんだけど、今日はそんなことないなって」
 両手を擦り合わせるヴァンを見て、そういえばこの少年は冷え性だとか言っていたなと思い出す。どれ、と布団の中で足先を探るとひやりと冷たい肌に触れた。ヨハンが息を飲んだのと、ヴァンがひゃあと悲鳴を上げたのは同時。
「急にやめてよ」
「十分冷たい」
「だから、いつもよりは冷たくないんだって」
 この体温でか、と眉をひそめる。二人のやり取りを横たわって見ていたギュスターヴが、そこで口を開いた。
「ヨハンがいるから温かいんじゃないか。一つのベッドに二人分の体温があるんだからな」
 笑いながら言われて、ヨハンとヴァンは至近距離で見合わせた。なるほど。なんとなしに頷き合う。
「良いことを知ったな、ヴァン。どうだ、城に戻ってからも一緒に寝たら」
「いいえ! そんなことしたらヨハンがゆっくり休めないでしょう」
 主君の冗談を両断して、もう消しますよと燭に手を伸ばす。おやすみというギュスターヴの声で灯りがふっと消えた。窓から射す月明りで部屋が青白く光る。
 もぞもぞと布団の中に手を戻したヴァンが、ふふ、と笑った。
「でも今日はよく眠れそう。ヨハンが一緒だとあったかくて良いね」
 おやすみ、とヴァンが目を閉じる。案の定、十を数える前に規則的な呼吸が聞こえてきた。
 月色の中、目を覚まさないよう祈りながら少年の手に触れる。冷たい指だった。包み込むよう握ってぎゅっと力を籠める。ひんやりとした温度がゆっくりとヨハンの掌に馴染んで、溶けていく。眠るヴァンの表情を見、それから窓の外へ視線を向けた。月が天の頂上に昇るまで、いくばくか。なんにせよ、風伯は腕を伸ばせばすぐ手に取れる。
 だがヨハンは、空いた片手も使ってヴァンの手を握り直した。
 この手を置いてベッドを抜け出すことは、どうしてもできない。
 今日はよく眠れそうだとヴァンは微笑んだ。疲れているのだから何もせずとも眠れるだろうとヨハンは思う。そして、手を離せないでいる。矛盾を自覚しても感情の整理がつかない。ふわふわと、落ち着かない心地を持て余すヨハンの脳裏に、夕刻の主君の言が甦った。
 主君の護衛を解任された今ならば、この寝顔を守ることもできるだろうか。

 今夜は、ギュスターヴの言葉通りに甘えさせてもらおう。ヴァンの手を握ったまま、ヨハンは目を閉じた。



 翌朝、ギュスターヴは普段とほとんど同じ時間に覚醒した。数日ぶりのベッドは城のような寝心地までは得られないまでも、体を休めるには十分だった。ぐっと伸びをして、それから隣のベッドを見やる。
 ギュスターヴの予想に反して、少年が二人、仲良さそうにくっついて寝息を立てていた。結局、ヨハンはこちらの言いつけ通りに休んだようだ。昨夜と変わって向かい合うように眠る姿は微笑ましい。それに、ヨハンが眠っている姿は久しい。寝顔を見るのは初めて城に連れてきた時以来か。
 物珍しさにじっと覗き込んでいると、予兆なくぱっとヨハンの目が開いた。
「うおっ! ヨハン、起きていたのか」
「おはようございます、ギュスターヴ様。もちろんです」
 横になったままいつもの淡々とした調子で挨拶を寄越すヨハンは、たった今目を覚ましたようには見えない。
「ああ、おはよう……いつ起きた?」
「ギュスターヴ様が寝返りをなさった時に」
「それはいつのことなんだ……お前、ちゃんと寝ていたんだろうな」
「寝ていました」
 ヨハンがギュスターヴに嘘をつくことはないが、筋の通らないことを述べる節はある。大方、不穏な気配を感じればいつでも飛び起きられるようにしていたのだろう。器用なことだと感心半分呆れ半分。護衛としては優秀なことこの上ないが、十七の子供としては不健全だ。
 ギュスターヴの不審を感じ取ったのか、ヨハンの視線がずれる。表情の変化が乏しいヨハンは目の動きで感情を訴える。視線の先では、ヴァンが夢を見ていた。
 そこではたと気づく。ギュスターヴと言葉を交わす際、ヨハンは常に一歩下がった位置に佇み、直立不動の体勢を崩さない。従者として恥ずかしくない弁えた態度を、とヴァンに仕込まれたらしいそれが、今は横になったままだ。ギュスターヴが気にしないとはいえ、主君の前で体を起こさないのはヴァン曰くの失礼にあたるだろうに。その理由は、おそらく。
「ヴァンが、あったかくていいと、言っていました」
 ヨハン自身の証言で推測が確信に変わる。仲が良さそうだと評したのは、思い込みではないようだ。

以前、なつひこさんがツイッターに投稿された漫画を拝見し、勝手に…まじで勝手に続きを妄想して書いた投げつけたものです。その節はすみませんでした…快く受け取っていただきありがとうございました。。こんなすげー前の話ですが諸々の掲載許可も頂きまして、本当にありがとうございました!
ギュスヨハンヴァンの三人がわちゃわちゃしてるの可愛くて好きなんですが、わたしが書こうとするとまー偏る偏る…ギュス様第一だけどヴァンも大事にしてる(大事に思い始めてる)ヨハンがちょー好きです。あ、タイトルは「つきわたし」と読んでください。月も越えるような風。みたいな造語。
160109 初稿
200903 修正

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