最悪だ。レイモンは呟いた。
 鼻のてっぺんにひやりと冷たい感覚。膝を抱えていた腕をさらにきつくして、小さく丸くなる。冷えた鼻を隠して視線だけで空を見やる。
 にび色の雲にちらつく白い粒。目の前に落ちてきた雪を睨みつけてから、レイモンは着膨れした腕に顔を埋めた。

 最悪だ。
 雪が降れば、寒さはほんの少しやわらぐ。だがそれだけだ。白い影でちらつく視界が曇る。周囲の物音が吸い込まれる。坂を踏ん張る足が滑る。弦を弾く指先が湿る。良いことなんてありゃしない。本当は、こんな日は酒場に籠ってエールをあおるのが一番だ。暇をしてるやつらとばか騒ぎをして、くだを巻いて、店主の文句を子守唄に雑魚寝するのも時には楽しい。
 だけど今、レイモンは寒空の下で一人きりだった。
 街を出て二日目の夕方。予定している中継ポイントまで、順調に進めば一日半。二つの拠点の、ほとんど真ん中だった。戻るわけにもいかない。急いで進んでも到底たどり着けない。だから、今日はここで休むしかない。
 こんなところで、雪に埋もれでもしてみろ。誰にも見つかるわけがない。雪解けしたって頻繁に人が通る場所でもない。ぐずぐずになって、どろどろになって、この雪みたいな白い骨になってからようやく発見されるんだ。

「おい、ちゃんと火を見ろ」

 ぺしっとレイモンの頭を叩く手があった。渋々顔を上げる。見知った顔が、パトリックが、レイモンを見下ろしている。
 見てなくても温度でわかるよ。胸のなかで毒づくだけで声にはしない。座り込むレイモンの真向かいには焚き火が揺れていた。おかげで雪が降るほどに気温が落ちていても凍えはしないし、そのまま降り続けてもここだけは積もらないだろう。
 むすくれるレイモンとは対称的にパトリックはすんとした表情で、レイモンにはそれがどこか間抜けに見えた。特に、片手にピンクの塊を鷲掴んでいるような時は。
「なーにそれ」
「見ればわかるだろ、ペッグだ。戻る時にちょうどそこで、ばったりと」
「馴染みに再会したような言い方すんなよ」
「実際のところ久しぶりの再会だ。今日は豪勢だぞ」
 弾んだ返事をしながら、パトリックは焚き火のわきに置いた金属のナイフを手に取る。その背中を、レイモンがむんずと掴んだ。
「おい。危ない」
「寒いからこっち来い」
「そのへんを歩いてきたら体が暖まるぞ。追加のペッグを頼む」
「俺はぁー火を用意するっていう役割をちゃーんと果たしましたぁー」
 ただをこねるようにぐいぐいと引っ張る。それ以上反論せずにパトリックは大人しく後退してレイモンの隣、右側に落ち着いた。拳が二つ分空いていて、間髪入れずパトリックに密着した。わざと体重をかけて寄りかかる。
「寒いって言ってんだからくっつけよ」
「これじゃ切れない」
「いいから。それより俺のことをもっと大事にして」
 軽口で発した言葉に、唐突にレイモン自身がどきりとした。いつも通りの冗談のはずが、どうにもらしくないと感じる。一人きりで妙なことを考えていたからか、冒険には最悪な天候に引きずられたか、いつになく密着しているからか。
 不意に会話が途切れる。やっぱり自分の発言はおかしかったか。パトリックは自分の動揺を見抜いているのかもしれない。ますます奇妙な動悸がして、寒いはずの背中に汗が滲む。
「今日は、甘えただな」
「だって寒いと人肌恋しくなるだろ」
「うん、まあ、そうだが」
 茶化した台詞への、歯切れ悪い返事。そうだが、なんだっていうんだ。
「どこかの町では、年の暮れに鳥の丸焼きを食べるらしい」

 うん?
 右隣の横顔をまじまじと見つめる。ナイフを手放したパトリックはやはりすんとした表情で、今は視線を宙に投げて記憶を掘り起こしている。
「人づてで聞いた話だから、確実ではないし、曖昧なんだが、一年を無事に過ごせた祝福と感謝のために食べると」
「はあ」
 年の暮れ。確かに、あと数日で新年という時期で、この一年も大した怪我なく過ごせて、おそらく次の町で平穏に翌年を迎える見立てではあるけれど。
「鳥の丸焼き」
 唐突な話題にレイモンの頭は置いてけぼりをくらっている。そのせいで馬鹿のように単語を繰り返しただけの言葉を、パトリックは疑問と受け取った。
「一人では食べきれない、大勢で分け合うために鳥の丸焼きだそうだ。特に、家族や恋人と、大切な人と共に食事をするのだと」
「そりゃいいな」
 幸福の光景が目に浮かぶ。今俺は雪まで降ってきた寒空の下で縮こまってるんだけどな。苦々しい心地と棘のある言葉を胸にしまいこんだところで、パトリックが、手にしたままだったペッグを掲げてみせた。
「ぴったりじゃないか?」
 なにを言っているのかわからなかったのは一瞬。ようやく話が繋がった。繋がったは違いないが。
「鳥の……丸焼き……」
「鳥に間違いない」
「こんな毒々しい色の鳥に祝福と感謝……」
「皮を剥げば気にならない」
「あー、あー……わかった、わかった」
 ペッグを見つめている、もとい食べどころを見極めているパトリックは見慣れた料理人モードだ。こうなると止められない。呆れ半分にレイモンは体を離す。残りの半分の感情には、名前をつけないことにした。
 一方のパトリックは座った位置はそのままに、ナイフへ手を伸ばす。すっかり熱された金属ナイフを毛足の短い皮に当てて、そこで口を開いた。
「どこぞの甘えたに元気を出してもらうためにもな」
 すんとしていた表情はどこへやら、楽しげに口元を緩ませたパトリックと目が合った。

サンダイルにクリスマスはないけどクリスマス的な話。一応非カップリングのつもりで書いてたんですけど、どうなんだこれ。よく冗談を言うわりに「今のきわどかったか?」てなることが多いレイモン好きです。そして冗談じゃなく天然でパトリックの発言は迂闊です。
191224

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