深呼吸しても止まらない胸のどきどき。こんなこと、初めてだ。怒られるかもしれない。いや、絶対怒られる。少し怖い。
 でも、この計画は実行しなければいけないんだ!

 決心をしたように、デーヴィドはふうと息をはいた。外套を身にまとい、フードをしっかりとかぶる。
くるりと振り返ると、年齢に不釣り合いな、キリリとした表情で言った。
「我が儘を言ってすみません。行きましょう」
 これくらい我が儘でもなんでもないのに、と思いながらヴァンは頷き、彼の前に立った。
 二人はこれからワイドに赴く。誰に言うこともなく、いわゆるお忍びで、だ。父の言いつけに背くのは、デーヴィドはこれが初めてだった。
 ヴァンは、背後で身を硬くしているデーヴィドの心境を思い、苦笑した。
「デーヴィド様」
 呼びかけられたデーヴィドの平静な顔から、わずかな緊張が見て取れる。
 それを和らげようと、ヴァンは微笑みながら人差し指を立てた。
「これは、私との二人だけの秘密です。……なんだかわくわくしますね」
 一瞬目を丸くしたデーヴィドは、いたずらに笑い、ヴァンを真似て「内緒ですね」と指を立てた。
 それを見て、ヴァンは満足げに肩を下ろした。彼の常の姿である、妙に達観したデーヴィドは、荒んだ世を体現しているようで、目にする度心苦しくなる。ヤーデの嫡男といえど、やはり子供らしい無邪気な姿が一番だ。
 そんなヴァンの考えなど露知らず、気を入れ直したデーヴィドは「父上のために!」と息巻いた。

*

 チャールズが自室に戻って、まず目に入ったものは、机上の平たい箱だった。部屋を出る前は、あんなものはなかったはず。記憶を探り、用心しながら机に近づく。その箱は丁寧にラッピングされており、手にとってみると、軽い。危険物というわけではなさそうだ。
 裏返すと、箱の右下にDavidの文字。この箱はデーヴィドが置いたらしい。一体、何のつもりなのか。
 夜が更けているため、明日にでも聞こうと思い、包装紙を外しーー中に入っていたものを見て、チャールズは驚きと同時に眉を寄せた。
 本当に、デーヴィドは何を思い、何の目的があってこれを置いたんだ。
 箱を持ったまま考え込んでしまったチャールズは、はたと気づき、今日の日付を確認する。一人無言のまま納得し、蓋をしたチャールズは箱を見つめた。
 明日、やらねばならないことができてしまった。

 普段より少し早めに部屋を出て、真っ先に向かったのはデーヴィドの部屋。すれ違う侍女の挨拶を軽く受け流し、チャールズは扉を叩いた。
「デーヴィド、入るぞ」
 焦っていたのか、返事を待たずに扉を押し開ける。ここのところ、デーヴィドとは会うことがなく、まともな会話をしていなかった。
 デーヴィドは、チャールズの姿を認めると、目を見張り立ち上がった。
「父上……」
 しばらく会っていない父親が早朝に、それも何の前触れもなく訪れたのだから驚くのも当然か。
 チャールズが近づくと、我に返ったデーヴィドは慌てて頭を下げた。
「お、おはようございます」
「おはよう」
 挨拶もそこそこに、チャールズは後ろ手に持っていたスカーフを、デーヴィドの前に出した。デーヴィドの表情が変わる。困惑から不安へ。不安といえど、そこには期待もあり、恐れもあり、おおよそ八つの子供が持てる表情ではなかった。
「これは、お前が置いたな」
「……はい」
 決まり悪そうにデーヴィドが頷く。それに気にした様子もなく、チャールズは詰問に似た問いを続けた。
「どこで手に入れた」
「先日、ワイドまで赴きました。……ヴァン先生と、素性を隠して」
 そこまで言って、デーヴィドは俯いてしまった。何も言わず、護衛もなしに遠出をしたのだ。
 叱責を覚悟して、身を強張らせる。しかし、チャールズの声音は重くなかった。
「顔を上げろ。二つ言いたいことがある」
 恐る恐る顔を上げ、デーヴィドは父を見つめた。
「ヤーデを出るのなら必ず伝えろ。私が忙しかったからという理由は受け付けん」
「はい……申し訳ありませんでした」
「わかったなら良い。それから、渡すものがあるなら私に直接渡せ。あんな置き方では処分されても文句は言えんぞ」
「わかりました」
 しっかりと返事をしたデーヴィドの瞳は力強かった。チャールズは満足げによしと頷き、もう一つ、と口を開いた。
「これは、私が貰って良いんだな?」
「はい、父上にお渡しするつもりで、ワイドまで行きました」
「そうか」
 チャールズは膝を折り、デーヴィドと視線を合わせた。片手をそっと伸ばし、頭に乗せる。デーヴィドの目が大きくなった。
「ならば貰おう。ありがとう、デーヴィド」
 チャールズは出来る限り優しく、頭を撫でた。途端にデーヴィドの顔が輝く。ふわりとほころばせた表情は、久しぶりに見た笑顔だった

タイトルは『空をとぶ5つの方法』様から。
拍手だったものと、そうじゃないもの。元はチャールズ視点を父の日に書いたんだったかな。
チャールズがデーヴィド大好きなら、逆もまた然り、ということで。
101227/100622

» もどる