ヨハンが初めて城に上がった日。彼が主君に手渡されたのは、一振りの木刀だった。
「この剣は、風伯という」
暗殺者時代は、一貫して鉄の短剣を使っていたヨハンは、風伯をまじまじと見た。
簡素な装飾が施された木刀は、馴染みがない。何故わざわざこの剣を用意したのか。ヨハンは、目をギュスターヴに移した。
「アニマのない私には、この木刀は加工された木でしかない。人を殺すには、お前の持っていた鉄でないといけない。だからヨハン、お前は、この風伯で私を守れ」
暗殺者ではなく、護衛者に。
斬るというイメージを作らねば、風伯は武器として意味をなさない。斬るためだけに作られた鉄の剣では、護衛は務まらない。
だから、ギュスターヴはヨハンに風伯を与えた。
主君の意図を読み取ったヨハンは、両手を差し出し風伯を受け取った。手の中に収められたその刀身を、もう一度見つめる。視線を外したヨハンは、一歩身を引き、膝を折った。
背後に控えていたケルヴィンが、ヴァンアーブルが、そして彼の眼前にいるギュスターヴが、息を呑んだ。
わずかに緊迫した空気の中、ヨハンは凛とした声を響かせた。
「この腕、この足、この体、この命。私の持ち得る全てで、あなたを護ることを誓います」
ヨハンが一人の人間に誓った、最初で最後の忠誠だった。
「驚いたな」
ヨハンとヴァンアーブルが退出した後、ケルヴィンは扉の向こうを見つめた。
「あのヨハンが、あんなことを言うとは」
「ああ……私も、本当に驚いた」
肩の力を抜いて、ギュスターヴはケルヴィンに近づく。予想をもしなかった言葉だった。
「ヴァンが教えたのだろうか」
「そうかも知れないが……」
ケルヴィンの問いかけに、ギュスターヴは首をひねった。
あれは、まぎれもないヨハンの言葉だった。心から忠義を尽し、体と一生を捧げる覚悟を感じさせる、彼だけの。
そしてなにより、形式や吹聴だけで、あのようなことを言えるヨハンではないのだ。ギュスターヴは、それを知っていた。
「私は幸せ者だな、本当に。臣下にも友人にも恵まれている」
お前もだぞ、ケルヴィン。
少年時代を思い起こさせる覇王の笑顔に、ケルヴィンは気恥ずかしそうに微笑した。