料理だけはどうにも上達しないネーベルスタンだったが、キッチンに立つのは日課といって差し支えない。ケトルを手にして、やることはいつも一つ。紅茶の準備だ。この屋敷では紅茶の消費量が多い。というのも、シルマールは大抵の紅茶が好きで、ナルセスは好き嫌いはあるものの紅茶が好きで、彼自身は、まあ、普通だった。
 キッチンの戸棚の上部を占領しているのは様々な種類の茶葉の缶。湿気るといけないから、出し辛いけど上の方に置いているんですよ、とシルマールは言った。少し背伸びをして手を伸ばそうとする師を制して、ネーベルスタンが缶を取った。セイロン、と記されたそれを手渡した時、彼が苦笑したのをよく覚えている。
「あなたにとっては、問題ない高さみたいだ」
 ネーベルスタンはシルマールより少し背が高くて、その少しの差が、少しの背伸びを必要性を無くしていた。
 シルマールが背伸びをしなければいけないということは、ナルセスの場合は手が届かないということだった。
 ネーベルスタンは一度、つま先立ちをして震えながら手を伸ばしている彼の後ろから、目的のものを取ってやったことがあった。アップル、と記された缶を渡そうと顔を向けた時、うわっ、と思わず腰が引けた。敵意のような剣呑な眼差しには既に慣れていたが、その表情は忘れられそうにない。とても形容が難しい、とにかくすごい顔だった。すぐにキッチンを後にしたのは最善の選択だっただろう。

 水を汲んだケトルを感応石の上に置いて、アニマを引き出す。料理の火加減は苦手としたが湯を沸かす程度なら神経質になることもない。放っておいても大丈夫だ。沸騰するのを待つ間にポットの用意をする。
 この家は常備している茶葉の種類が多ければ、ポットの数も多い。ガラス戸の中にしまわれた、メドウグリーンの蔓模様が入った白い陶器が家主のお気に入りだ。小振りでたまご型をした可愛らしいものだが、これは彼が一人の時に使うもので、三人では足りない。その隣の、もう二回り大きいものがちょうどいい。金の縁取りが入っただけのシンプルなものだが、華美な装飾を好まないネーベルスタンは、これくらいが良いと思っていた。カップとソーサーも同じデザインで、これはネーベルスタンが住み込むようになってから揃えたものだった。以来、三人で席を共にする時は、いつもこれを使っている。
 ケトルの水が小さく泡立ってきたのを見て、空のポットと三つのカップにお湯を入れる。完全に沸騰するまであと少し。茶葉を一缶、スプーンを一本、ストレーナーを一つ、それからティーコジーをテーブルに並べる。
 ここに来るまで知らなかったのだが、紅茶を淹れるには細かなルールがあった。そのルールを知って、うまく淹れられるように練習したのは師のため。という理由もあったが、いつもいつも不味いと切り捨てられるのに我慢がいかなかったのも事実である。武人としての誇りや貴族としてのプライドとは違う。単に、頭にきた。
 茶葉を入れる前に、先に注いだ湯を全てシンクに流す。手に取ったポットはじんわりと暖かい。良い頃合いだ。カップの方も流して空にしておく。缶の蓋を外すと、花の香りが鼻腔をつついた。甘味が少なく癖の強い香り。それを三杯スプーンに盛ってポットに入れる。先程より大きな泡を立てて沸騰している湯を勢いよく注いで、蓋をし、ティーコジーを被せて、少し時間を置く。
 この白いポットは、シルマール曰く、ちょっとした細工を施してあり、温度が下がりにくいらしい。ならばカバーなどしなくてよいのでは、と疑問を投げかけたネーベルスタンに、シルマールはこう言った。
「この中で踊っていたリーフが沈んでいくのを思い描いたり、これを外した瞬間に閉じこめられていた空気が広がっていくのを見たり……そういう想像が、紅茶を美味しくする一つの秘訣なんですよ」
 とびきりの秘密を話す、子供のような声音だった。

 準備を終えたネーベルスタンはキッチンを出た。書庫にいたシルマールに声をかける。今日は、彼の好きなカモミールティーだ。
「久しぶりにあの香りを楽しみたいと思っていたところですよ」嬉しそうに顔を綻ばせてから、師は少し肩をすくめた。「ナルセス君には、気の毒かな」
 シルマールはキッチンに、ネーベルスタンは二階に上がる。
 ナルセスはハーブティーを総じて嫌がった。植物独特の香りが強いからだとか、何とか。紅茶とはその名の通り、葉っぱなのだから植物の香りがするのは当たり前だと思うのだが、違うらしい。以前、一度だけカモミールティーを飲んだ時、彼はむすっとして言ったのだ。
「味は良いが、香りは好きじゃない」
 色と香りに重きを置くのが紅茶という飲み物。その台詞を聞いた瞬間、ネーベルスタンは思わず吹き出した。思い出した今でも、口許が緩むのを抑えられない。
 今日はカモミールティーだと言ったら、ナルセスはどんな表情になるだろう。またすごい顔をするかもしれない。そうしたらまた、忘れられないだろうか。
 想像をしつつ、努めて平静を装ったネーベルスタンは、その部屋の戸を軽くノックした。

元は、紅茶の淹れ方を知りたいなーって書き始めた話なんだけど、予想外にうまく書けてかなり気に入ってる話。
カモミールティーはほんと不思議な味がするけど、それが癖になる。ナルセスさんはフツー(?)の味が好きそう。アジア系の香辛料とかもだめだろうなあ。
140429

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