風伯は、まるでヨハンの体の一部だった。
 木製の長剣はそれなりの重量があるはずなのに、ヨハンは事もなく操る。彼が以前手にしていた短剣よりもずっと軽やかに、ひらりひらりと舞う木葉のように、それこそ、風のように。
 風伯を腰に下げ、ギュスターヴの傍らにひっそりと佇む姿は、いまや、それが当然であった。
 しかしヴァンは、風伯を振るうヨハンを見ては首を捻っていた。
「君が風伯を使いこなしてる姿は、なぜだか不思議な感じがするんだ」
「………」
「鉄の剣よりは軽いだろうけど、その長さだと木刀も重いんでしょう?」
「………」
「自然すぎて不自然っていうか……いや、ヨハンが風伯を持ってることが、じゃなくてね、よくそんなに軽々振り回せるなあって」
「………」
「……言いたいことはわかるが、こいつの体は筋肉しかないぞ?」
 うんうんと頷いたのはギュスターヴだった。書類の山を崩しながら聞いていたが、ほとんど独り言に近い会話に我慢できなくなったのである。
 当のヨハンは友人を見、主君を見、沈黙を貫いている。決して口を開こうとしない態度にむっとしつつも、ヴァンはこの態度には慣れていた。たぶん、どう返答すればいいかわからず困っていたのだろう。それならそうと言えばいいのに……。という不満は決して口にしない。ヨハンとの会話を諦めてギュスターヴに向き直る。
「ギュスターヴ様、それは僕だってわかってます」
 ヴァンの言いたいこととは、つまり、ヨハンの体型のことだった。
 力よりも素早く動くことを優先し、そのために鍛えられた身体だということは知っている。しかし無駄な筋肉がないために、妙にひょろりとして、ともすれば頼りない印象を受ける。斧や槍などを持たせたら操るどころか振り回されそうだし、鎧を着せたら動く前にぐしゃりと潰れそうだ。
 また、ヴァンの知る武人の姿がその印象を加速させていた。ギュスターヴが鋼の大剣を降り下ろす背中からは、敵将を哀れに思ってしまうほどの激しい気迫を感じる。ネーベルスタンが近衛兵の一人と模擬戦を繰り広げた時は、彼の一突きに空気がビリビリと震えたようだった。鋼鉄兵などは誰も彼も大柄で、あの中に放り込まれたら押し潰されて死んでしまいそうだといつも思う。
 少し考えて、例えばとヴァンが言う。
「ギュスターヴ様は大岩が降ってきてもびくともしないと思います。でもヨハンは潰されちゃいますよ」
 大真面目な少年を見て、相変わらずこの子供は面白いことを言うなあと喉の奥で笑った。ギュスターヴがヴァンを側に置く理由のひとつに、このような、子供らしからぬ愉快な口ぶりがあった。そのために雑談が楽しい。判子を押す手の調子が良くなる。
「ヴァン、大岩が降ってきたらさすがに私でも無事じゃ済まん」
「でも真っ二つにできそうじゃないですか」
「それは、岩のサイズによるが……」
「ヨハンが真っ二つに切るところは想像できません」
「いや、その前に避けるだろう」
「……それもそうですね」
 本人を目の前に好き勝手に言っても、ヨハンはまるで平静である。この程度で憤るような性格でないことは、ギュスターヴもヴァンも知っている。だから言いたい放題していた。
 ただヨハンは、言外に弱いと言われたことには機嫌を損なっていた。それも、確実に自分より弱いヴァンに。お前に言われる筋合いはない、というのが本音である。
 その、沈黙する少年の感情の機微に気付かないギュスターヴではなかった。「でもなあ」とここでひとつ、助け船を出してやる。
「ヨハンが凄腕の剣術使いだってことはヴァンも知っているだろう?」
「もちろんです。ヨハンより強い人なんてどこを探してもいませんよ!」
 そう言い切ったヴァンはどこか誇らしげだった。散々言った後だが、ヴァンが本当にヨハンを好いているのがわかる。そしてヨハンも、ヴァンを見る目が優しい。散々言われても大抵のことでは意に介さないのは、ヨハンもまたヴァンを好いているからである。全く、相思相愛だ。
 これで落ち着いたかなと思ったギュスターヴは、「でも」に続く台詞に裏切られた。
「それと力があるかどうかは、別だと思います」
 ギュスターヴが手を止めてヨハンに視線をやったのと同時、ヨハンの青い瞳がすうっと動いた。主君を見つめる目は雄弁である。無言ではあるものの、珍しく主張をする臣下に同情をした。
「……うん、ヨハン、好きにしろ」
「は」
 脈絡のない会話にヴァンはきょとんとした。ギュスターヴの傍らで身を潜めていたヨハンが音もなく動き出して、次の瞬間、ヴァンの視界がぐるりと回る。
 つむじ風に、掬われたと思った。
「へっ……?!」
 鉄紺の瞳がヴァンを覗いている。浮き上がる感覚は一瞬のうちに過ぎて今はしっかりと支えられている。
「どうだ」
 なにを、とは聞けなかった。状況を理解するために回転するヴァンの頭では、その一言ですら言葉にならなかったためである。
 背中と膝裏に回された腕。見ただけでは細くて頼りなさげだったはずが、こうしてみると全くそんなことはない。足だってふらついていないし、ぴんと背筋を伸ばして立っているのがわかる。ああなんだ、すごく力強いじゃないか。
 横抱きにされたまま、ヴァンとヨハンは見つめ合う。呆然としていたところを我に返らせたのは、ギュスターヴが吹き出した音だった。
 この体勢、いわゆるお姫様抱っこ。
 それを認識した途端、かっと頭に血が上った。
「あっ、あのっ! おろして!」
「どうした、落ちそうで怖いのか」
「違うよ全然そんなことない! すごく安心します!」
「本当か、無理はしていないか」
「大丈夫だからっ、本当に大丈夫だって!」
「不安だったら首に腕を回すといい」
「それだけは絶対に無理!!!」
 ギュスターヴが大笑いする声と、ヴァンの必死な叫び声と、ヨハンの淡々とした声。
 突然騒がしくなった執務室に駆け込んできた衛兵たちの視線が一気に集まる。それでも下ろそうとしないヨハンのせいで、ヴァンの顔はますます真っ赤に染まった。

ひっさしぶりの風シリーズ。ヨハンとヴァンとギュスさまが揃うとラブコメできる。
141113

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