コーデリアが戻らない。アレクセイ一味が街を後にするのを密かに見送ったあとも、コーデリアは集合場所に姿を現さなかった。
 二手に別れて街中を疾走していたナルセスは、言いようのない不安を抱えていた。薄暗い予感。余計なことを考えている場合ではないのだが、それでも消えなかった。
 思えば、ウィルが南大陸に行くと言ったときからこの感情がくすぶっていた。できることなら、あの時にやめろと制止の声を上げたかった。だが、あの少年は純粋であるが故に、まっすぐすぎるのだ。その純真さの所為で、知らなくて良いことを知り、見なくて良いものを見てしまう。この潜入捜査だって。
 辺りを見回しながら階段を降りていたとき、ナルセスは背筋に粟立つかのような感覚を覚えた。階下に顔を向ける。予感が、強まる。
「ナルセスさん? どうかしましたか―――」
 共に行動していたタイラーが、突然足を止めたナルセスに訝しげに声をかける。が、それに構わず、ナルセスは駆け出した。
 震えるアニマを感じた。コーデリアのアニマの色を、匂いを、温度を思い起こしながら、元気に跳ねる三つ編みを探していた時。わずかに波打つアニマを。それが、彼女のものかはわからない、波動が微弱すぎてそこまではわからなかったのだが、ナルセスは己の勘に従い走り出した。階下に降り立ち、アニマの行方を辿ろうとした時、金の色が視界にちらついた。薄汚れた夜の街に不相応な、明るい金。
「コーデリア!」
 絶叫のような、搾り出したような、引き裂かれた声が喉をついて出た。
 貯水場の横穴に飛び移り、倒れ伏すコーデリアのわきに足をつく。苦しげに歪んだ表情。口元に掌を翳すと、まだ息があった。だが安心できない。一目でわかる。傷が、ひどいなんてものじゃあない。
「タイラー、ウィル達を呼んでこい!」
 半瞬遅れて貯水場に駆け込んできたタイラーにそう叫ぶ。すぐに状況を呑んだタイラーは、ひとつ頷くと飛ぶように元来た道を辿った。
 その背中を横目で確認すると、ナルセスはコーデリアに顔を向けた。すぐさま止血の為に術を唱えるが、ぐっと眉を寄せた。
 血を流しすぎている。たとえ今この場で傷を癒やすことができても、彼女が生きてこの街を出ることは難しい。今できることは、少しでも、彼女を痛みから解放させることしかない。意識しなければ目を背けてしまうほど、その傷はむごい。全身の切り傷と、痣。傷の上から斬撃を重ねた傷痕。どれほどの人数を相手、どれほどの時間なぶられたのか計り知れないが、無数の傷からは明らかな悪意を感じた。きゅ、と詰まる胸の息苦しさに耐えながら治癒術を施していると、真っ白な顔が動いた。
「あ……ナル、セス…さ」
「……コーデリア」
 聞こえるか聞こえないかのかすれた声。ふ、とナルセスは息をついた。
「……わたし、生、きて」
「ああ、お前のアニマはまだ還っていない。だから少し黙っていろ」
 意識の無いまま命を落とすことはなくなった。あとはウィルが戻ってくるのを待つだけだ。傷のひとつひとつに術を施しながら、ナルセスは気ばかりが急いだ。
 ウィル、早く来い。コーデリアだって、最期は愛しい者の腕に抱かれていたいだろう。
 慎重に水と樹のアニマを操る。弱った体に炎は刺激が強すぎる。わずかばかりの延命治療を、ゆっくりと唱えていた時、コーデリアの口がパクパクとかすかに動いた。
「あの、ね…伝えたい、ことが」
 その苦しげな姿に、ナルセスは眉をひそめた。
「ウィルへの伝言なら受け付けんぞ。自分でなんとかしろ」
 それで、役目を果たしたと言わんばかりに逝かれては困る。ナルセスは普段と変わらぬ冷たい態度でコーデリアの申し出を断った。それに対し、彼女は不満そうにナルセスを見つめる。
「じゃあ、他のこと」
「黙れと言ったのが聞こえなかったか」
「話さないと……寝そう、なの」
 ね、と弱々しく笑うコーデリアに、ナルセスはそれ以上何も言えなかった。ため息をつき、無言でそれを許す。
「ナルセスさんに、お願い」
 予想外の言葉に、彼女の顔を見ずにはいられなかった。
 血の気のない白い顔、痛みは引いたようだが、色が戻ることはない。だが、その表情からは、固い決心が見て取れた。己の最期を確信した少女は、あまりにも年齢に不相応な、死に際の輝く瞳を持っていた。
「もう私は、ウィルを支えられないから、ナルセスさんはそばにいて。もう私にはできないから、ウィルの、暗い顔を晴らしてあげて。ナルセスさんにしか、頼めないの」
 力強い意志と切なる願いを前に、ナルセスは頷く他なかった。
 それから少しして、ウィルとニーナを連れたタイラーが戻ってきた。顔が良く見えるようにと場所を変え、ウィルの腕に抱かれコーデリアは最期の瞬間を迎える。空になった身体を掻き抱くウィルの背中に、ナルセスは仄暗いアニマを感じた。
 解かねばならない。晴らさねばならない。なよやかな戒めによって、ひとつの使命を課せられていた。

乙女の純粋な祈りは、いちずなほど、重く堅い。死を間際に輝きを放つ命の話、でした。
120115

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