永遠に続くかと思われた戦闘が終わって、リチャードは仰向けに倒れ込んだ。そうしてしまうと、もう起き上がれそうになかった。
 これは一体どうしたことだろう。かすみがかった頭に疑問を浮かべた。俺は確かに死んだはずなのにな。
 痛みの感覚が消えて、指の一本も動かせなくなって、視界が暗闇に落ちて、世界から音がなくなって、リチャードの意識はそこで断絶した。とうに覚悟していた死が、ようやく己の身に降り掛かった瞬間だった。
 それなのに、なぜだろう。リチャードの耳には草花が風で擦れる音が聞こえるし、青い空に雲が流れていくのが見える。さらに言うと、剣を握ったままの指に力を込めることもできる。そして最悪なことに、体中に負った傷の痛みに苛まれている。
 死後の世界だと思った。けれどそこで死にかけている。死後の世界で死んだら、その後は、どうなるのだろう。
 そこまで考えて、リチャードは思考を絶った。どうせもう死ぬ身だ。後のことなんて、思うだけ無駄だ。兜の下で静かに目を閉じた。
 その時、甲高い声が空気を割いた。
「カイン?」
 そっとまぶたを持ち上げる。
「カインでしょ! ねえこんなところでなにをしてるの?」
 言葉だ。意味が通じる言葉を操る少々舌足らずな子供の声が、頭の先から聞こえてくる。
「なに寝てるのよ。ねえ!」
 口振りからして声の主は少女のようだ。その声がだんだんと近づいてくる。
 これはもしかして、俺に話しかけているのか?
「返事をしなさぁーい!」
 視界いっぱい、眉を吊り上げた子供の顔で占拠された。晴れた夜空の髪色に白い彗星が走っている。彗星はよくよく見ると細い角だった。幼い風貌を怒り一色で染めた少女は、二三瞬くと目を丸めた。
「カインじゃないわ」
 言うや否や、ぱっと視界から少女が消える。
「怒鳴ってごめんなさい。人違いしちゃったみたい」
  明らかにしょぼくれた声の幼子に、反射的に「いや、気にしてない」と発する。声は掠れていたが、確かに通じる言葉として音になった。その証拠に、再び――今度は視界の右側から、ひょっこりと顔を覗かせた子供の表情は和らいでいる。
「ありがとう。あたしエーコっていうの。あなたは? 初めましてよね?」
「リチャードだ」
「リチャード……うん。やっぱり知らない人だわ。よろしくね」
 エーコがにっこりと無邪気な笑顔を見せる。
「ねえリチャード。ずっと寝てるけど、どこか悪いの?」
 リチャードは「いや」と首を振る。「少し疲れたから休憩をしているだけだ」
「それならエーコに任せて! 魔法で回復してあげるわ」
 自信満々に言い放ったエーコが立ち上がった。両手には見たことのない形の長物を持っている。魔法で治すと言ったからにはロッドなのだろうが、あんな妙な形のロッドでどんな魔法が使えるのだろう。
 一度横薙ぎにして、ロッドを構えた。魔力の泉が湧き上がった時、エーコは一瞬、ほうけた顔を見せた。小さな体がこわばる。緊張が走り、表情が悲愴に歪む。だがそれもまた一瞬だった。瞬きの間に歯を食いしばって、瞳に強い意志を映し出す。おおよそ、子供には似つかわしくない表情だった。
「二人とも来て!」
 悲鳴に近い叫び声が合図だったかのように、エーコの魔力がリチャードを包み込む。少女の唱えた白魔法によって地獄の痛みが薄れ、同時に意識がどろりと溶けた。
 落ちる、と確信した。癒しを与えられたことで、張り詰めていた神経が弛緩した。
 何者かがリチャードの周囲に集まって、話をしているのが辛うじてわかる。徐々に意識が混濁していく。視界はにび色に塗りたくられ、声は不明瞭に遠のくばかりだった。
 ただ、最後に一つ。
「なぜここに」
 唸るような声が聞こえて、そこから先は覚えていない。





 その場にいた全員が蘇った皇帝を凝視していた。
 恐怖に身を凍らせる者。憎悪に燃える者。殺意に慄える者。その中でリチャードは、二人の男の背を見た。今の今まで互いに刃を突きつけていたフリオニールとダークナイトは、それぞれの得物を同じ方向へ向けている。
 けれど、駄目だ。
 この場所で、この顔ぶれで、この急襲。なにもかもが皇帝の手のひらの上だ。皆の心が乱れて戦うどころじゃない。勝ち目なんて考えるまでもない。ここは逃げ一手だ。脱出には飛竜を使うほかない。悠長に退く暇はないのだ。
 それに、なによりも。ダークナイトに目をやる。この男はてこでも動かないだろう。それこそ、無理やり引きずり上げて飛竜に乗せでもしなければ。
 恨みこそすれ、ダークナイトを救う理由などリチャードには一片もない。それでも勘定に入れているのは直感が訴えるからだ。ダークナイトを――レオンハルトをここで殺させてはいけない。そのためには飛竜を呼び寄せ、皇帝と対峙して時間を稼ぐ必要がある。他でもない、リチャード自身が。この役は代替できない。そしてそれは、玉砕が前提だ。
 ディストの竜騎士の系譜は、ここで終わる。
 それを確信してなお、リチャードは瞬きの逡巡もせず、声を張り上げた。





 最初に、人の声が聞こえた。
「私の時だってひどい目にあったもの」
「けが、いつのかわからない」
「まさか。最後に別れたあの時の傷なんてことあるか?」
 どれも知っている声だ。
 次に、視界が開けた。見える範囲で人影が四つ。リチャードを挟んで、すぐそこにいる。手が届くところだ。それなのに体は泥を纏ったように重くて、指先しか動かせない。代わりに唇が動いた。口の中はカラカラに渇いていたが、声は出せる。
 そうしてリチャードは、思ったままを率直に言った。
「夢か、そうじゃなかったら、今度こそ、死者の世界か?」
 想像よりずっと頼りない声だった。それでも、声が届いたならそれでいい。
「リチャード」
 フリオニール、マリア、ガイ。三人が一斉に身を乗り出す。揃いも揃ってくしゃくしゃになった顔がリチャードを一心に見つめている。
「よかったリチャード。目が覚めて」
「フリオニール、さっきの質問に、答えてくれ。俺にとっては結構……重要なんだ、これが」
 自分が命を懸けた意味が、そこにある。
 目を丸くしたフリオニールだったが、合点がいったのか、すぐに、しかしゆっくりと口を開いた。
「夢でもないし、死者でもない。リチャードのおかげで生き残ったから。勝つことができたから。戦いは、終わった」
 そうであってほしい、と望んでいた結末を、フリオニールが断言した。
「リチャード」
 シーツの上に投げ出した手をフリオニールが掴んだ。両手で握りしめられる。その両手が冷たいのは、緊張で血が巡っていなかった証だ。
 だが今、リチャードをまっすぐに見つめる顔はくしゃくしゃになって、真っ赤だった。引き結んだ唇が何度も震えて、ようやく、不格好な笑顔を作った。
「あの時、俺達を助けてくれてありがとう」
 フリオニールの紅潮した頬を、大粒の涙が伝った。
 パラメキア城で撤退を叫んだ瞬間から、リチャードは信じていた。フリオニール達なら心配はいらない。成し遂げるためのものを持っている。言葉にしようがない、目にも見えない、不確かなものを。
 信じた末に、彼らがどんな旅路を歩んだのかを知るすべがなくても、あの時のリチャードは後悔も絶望もなかった。確信があったから、最期まで誇り高き竜騎士としてあり続けられた。
「そう、か。よかった……ああ、本当に、よかった。皆が、無事で」
 よかった、ともう一度口にしようとしたところで、ヒュ、と喉が鳴った。呼吸に詰まる。三人の表情がまた、不安で塗りつぶされた。そんな顔をさせたいわけじゃないのに、体が言うことを聞かない。
 少しだけ離れたところから見ていた四つ目の人影――ミンウが立ち上がった。
「リチャードはまだ回復しきっていない。無理をさせてはいけないよ」
 柔らかな、だが有無を言わせない声で三人を制する。
「うん、そうだよな。ごめん、つい……ゆっくり休んでくれ」
「ええ、元気になったら話をしましょう」
「言いたいこと、たくさんある」
 力をふり絞って頷くと、三人ともほっとした様子を魅せた。音に聞こえた白魔導士もいることだ。剣を振るえるようになるまで、幾日もなく回復できるだろう。一片の心配もなく、目を閉じた。
 ところが、静寂をぶち破る物音がつんざいた。何事だと思っても、限界を迎えた体は瞼すら石のようだ。散りかける意識をかき集めて、耳をそばだてる。
「カイン?」
 マリアの言葉で、記憶の隅に追いやられていた声を思い出した。
 カイン、と。エーコも口にした名前だ。リチャードが知っているカインは、親友フィリップの息子で、ディストの生き残りの一人だ。あのカインが、ここにいるのか? いや、エーコはカインと自分を見間違えたと言っていた。エーコよりも幼いカインと間違えるはずがないだろう。
 疑問が頭を渦巻いて、その渦の中に意識が沈んでいく。沈み切る直前に、フリオニールでも、ガイでも、ミンウでもない男の言葉が耳に飛び込んだ。
「本当に父親になった覚えは、ないぞ……?」



 次に目を覚ましたその日のうちに、リチャードはベッドを降りた。というのも、白魔法で治せる怪我以外に特筆すべき不調がなかったからだ。そして何より、リチャードは今ここにいる場所ががどんな世界か説明されて、いつまで経っても寝ていられる性分ではなかった。周囲の心配をよそに、「もう元気になった」の一点張りで医務室から出たのだった。
 老若男女、種族も様々な大勢の人間が共同生活を送っていれば、大なり小なりのいざこざは日常茶飯事だ。やれ備品が壊れた、やれ殴り合いの喧嘩が起きた、エトセトラ。そんな騒動への対処も人それぞれで、積極的に首を突っ込む者もいれば、極力関わり合いを持たないよう素知らぬ顔をする者もいる。
 後者に当てはまる者の一人が、レオンハルトだった。元の世界での面識こそあるが、こちらの世界にやってきてから顔を合わせたのはただの一度きりで、それも一言二言の会話で終わってしまった。とは言えそれ自体を不愉快に思うことはない。むしろ、想定の範囲内の反応と言える。向こうは俺に興味などないだろう。リチャードはそう決めてかかっていた。
 その考えを、真っ向から否定する少女がいた。
「だってねえ、レオンハルたんすっごく心配してたし、慌ててたよ。初めて見たなあ、あんなハルたん」
 そう言ったのは、のんびりとした口振りで、しかし感慨深げに腕組みをするシンクだ。リチャードは全く知らなかったが、エーコがリチャードを草原の真ん中で見つけた時にパーティーを組んでいたのが、シンクとレオンハルトだった。つまり、エーコとともにリチャードを救った当人だ。しばらく経ってからそれを知らされ、すぐさま礼を伝えに行ったところ、シンクは「それならハルたんに言ってよ」と微笑んだのだ。
「あそこからリッチャんを運んだのはハルたんだし、最初に応急処置をしたのはエーコだし、わたしは横から声をかけてただけだったんだよね~」
 シンクが嘘をつく理由はない。だが、どうにも真実だとは思えない。
「それにしては、俺はあいつとまともに喋ったことがないぞ」
「それはねえ、ハルたんがリッチャんに会わないようにしてるからでぇ……あ、これ言わないでってお願いされてたやつだ」
 とシンクが大きな声で暴露をしたから、余計に気になってむず痒い。
 確かに、元の世界で対峙をしたことはあったが、結局直接戦ったことはなかったし、忌避されるほどのことか。人によってはそうなのだろうか。俺は気にしないのに。そもそも、シンクが漏らした会わないようにしているという証言だって、本当かわからない。
 しばし考えたリチャードは、自分の手元にむず痒さを解決する糸口がないことを知ると、すぐさまミンウの部屋を尋ねた。
「ミンウ、レオンハルトのことを聞きたいんだが」
 ドアを開けながら用件を言い放つ。部屋には意外な先客――ヴァンがいた。沈黙が落ちて、二人が視線を交わす。なにか意味ありげなアイコンタクトだが、不穏な気配はない。
「すまん。取り込み中だったか」
「いや、大丈夫だよ。レオンハルトがどうかした?」
「あー……単刀直入で悪いが、俺はあいつに避けられているのか?」
「あ、今ちょうどその話してたんだよ」
 間髪入れない即答だった。ピンと指を立てたヴァンを、ミンウがぎょっとした目で見つめている。ともすれば相手を深く傷つけたかもしれない今の言葉は、調和を重んじるミンウにはあり得ない返答だっただろう。良くも悪くも素直なヴァンだが、リチャードの場合はこの率直さを好んでいた。回りくどくなくていいじゃないかと思う。
「なんだ。話題になる程度にはわかりやすく避けられていたか」
「話題っていうか、オレが一緒にチーム組んだ時に、なんか変だなって思って、気になってミンウに聞きに来ただけで……あーでも、気付くやつは気付くんじゃないか? ここ、そういう微妙な関係のやつら多いし」
「む、それは後学のために知りたいな。例えば誰が」
「レオンハルトのことを聞きに来たんじゃなかったか?」
 脱線しかけたところでミンウが口を挟んだ。ヴァンは全く悪びれず、リチャードは臆面もなく、そういえばそうだったと頷き合う。ミンウはすいと目を細めたが、これに関してはほかに何も言わなかった。後ほど小言を食らいそうではあるが。
「避けるというより、気を遣っているというべきかな」
「自分の中で整理がついていないんじゃないの」
「そうだな。少なくとも戸惑ってはいるだろう」
「で、その結果リチャードのことを避けてる、って感じ?」
「理由はなんであれ避けてるのは違いないわけだ」
 二人のやり取りを大雑把にまとめて、リチャードは考える素振りを見せた。実際のところ、避けられる原因はほとんどわかっている。わからないのは心情だ。いくつかの推察はできても、あくまで勝手に思っただけで当たっている自信は全くない。
 だが、それがなんだと言うのだろう。
「リチャード。君自身は避けられていることを大して問題と捉えていないように見えるが、どうだ?」
 真に思っていたことをぴたりと言い当てられ、さすがにリチャードも面食らった。本当にこの男は、高位の魔導士であるための、道の外までも得ている。
 見透かされていることを覚えながら、努めて姿勢を正した。
「公には問題だ。不和と取られることは集団に利の一つもない」
 これはその集団を統率する側の意見だ。この世界においては新参者のリチャードだが、人を個ではなく群として扱う時の難しさは既に知っている。
 続けて、わざとらしくため息をついた。
「あと、フリオニール達が不安な顔をするだろうなあ」
「そうだな」
 ふふ、とミンウは苦笑を漏らした。
「仲良くしてほしいとは言わない。ただ、リチャードなりの答えを伝えてやってほしい」
 ミンウを見、首肯を返そうとした時、それまで黙っていたヴァンが「オレはさあ」と手を挙げた。「リチャードの好きにすればいいと思うよ」
 あっけらかんとした物言い。二対の視線を受けながらもヴァンはどこ吹く風といった様子で口を開く。
「リチャードが喋りたくないなら喋らなくていいし。今のままでもさ、いいだろ。そうじゃないなら仲良くしたいですって言えばいいし、なんなら……うん。一回、思いっきり喧嘩してみたら?」
 どうやら、ミンウにはヴァンの思考回路がまるでわからなかったらしい。なぜ喧嘩を? オレが喧嘩して仲良くなったことがあったから。それはどういう喧嘩だった? えーっと、何回もしてたからなあ……。
 そんな取り留めのないやりとりをしていたから、ミンウは気付かなかっただろう。リチャードが腑に落ちたように「なるほど、喧嘩か」と呟いたことを。
「まあ、いずれにせよ手立ては考える。心配しないでくれ」
 問答を続けるミンウとヴァンに一方的に告げ、そそくさと退室する。――が、部屋を出ですぐ横に、不安をありありと顔に映したマリアが立っていた。
「聞いていたのか」
「あの、通りかかったら兄さんの名前が聞こえて、気になって……ただの盗み聞きよね。ごめんなさい」
「なに、謝ることはない」
「……リチャードは兄さんとなにか話をした?」
「回復した時に少し」
 飛空挺内の廊下でばったりと。狼狽したのはレオンハルトの方だった。まあそうだろうなとリチャードは思った。まともに相対したのは元の世界、パラメキア城で互いを害さんとした時のことだった。結局は、火蓋が切られる前に皇帝が蘇って、うやむやになって、レオンハルトを含めた四人を逃がすためにリチャードが残って、それきりだ。互いに殺そうとした相手で、けれど命を救い、救われた相手だ。レオンハルトにとっては気まずいどころじゃないだろう。
 一方のリチャードも、対応に困った。経緯を考えれば手放しで仲良くする相手ではないが、この世界では大勢いる仲間の一人だ。戦いに支障が出ない程度には互いを知り、付き合っていく必要がある。
 凝り固まった思考で、まずは挨拶をするべきか……?などと口を開いて、しかし先に声を発したのはレオンハルトだった。
「怪我はもういいのか……と、ものすごい渋い顔で聞かれた」
 おおよそ気遣いの言葉に見合わない表情だった。そんなものだから、その瞬間リチャードはてっきり「哨戒もできないタダ飯喰らいのお荷物が」などと皮肉を込めているのか、と思い込み、再び口を開きかけ、けれど言葉を引っ込めた。よくよく見ると、レオンハルトの目の奥に嘲る色はまるでない。
 困惑の極みに至って、「まあ、おかげさまで」なんて、当たりさわりのない近所付き合いをするかのような返答になってしまったのもしょうがないだろう。
 マリアが呆れたように「ああ……」と肩を落とす。その時の兄の表情が想像できるのだろう。
「あのね、気を悪くしないでほしいんだけど、それ、きっと兄さんは心配してたの。でも、ほら……あなたが嫌がるかと思って声をかけていいかわからなかったんだわ」
「そういうことか。そんなことで嫌がりも怒りもしないのにな」
 笑い話にしようと、はははと声をあげる。マリアはそんなリチャードを困惑した表情で見つめた。
「リチャードは兄さんのこと嫌いじゃないの?」
「嫌いもなにも、よく知らん」
 当然、パラメキア帝国のダークナイトとしてフィンを苦しめたのは知っている。
「だとしても、あいつを害そうだとか憎いだとか……そんなことは、マリアを見ているとまるで思わんよ」
「それは……ダークナイトが、私の家族だったから?」
 尋ねるマリアの声はかすかに震えていた。いつもはキリリとした印象を見せる眉が下がっている。
 リチャードは静かに首を横に振った。
「マリアがレオンハルトを大切に思っていて、レオンハルトもマリアを大切にしているからだ」
 単純なことだ。マリアだけではない、フリオニールもガイも、見ればわかる。紆余曲折あっても、結局は戻るべきところに戻った。代えのない家族なのだ。
「うん。そう。兄さんは兄さんだって、ずっと思ってるもの」
 そう答えるマリアの表情に影はもうない。



 飛空艇が地上で夜を過ごす日は、何人かが降りて火を焚きながら明け方まで過ごすのが慣習となっていた。夜目の効く者や睡眠を必要としない種族を中心に、交代でモンスターの襲撃を警戒する。めったにあることではないし、管制室でもある程度の監視ができるが、風に紛れる足音や暗闇の中の不自然な影を察知できるのは人だ。
 そんなことを、以前艇内の案内を買って出たセルフィが教えてくれた。
「確かに、哨戒は夜営の基本だな」
「おっ、リチャードさんそういうのわかる人~? てことは、シフト入ってくれちゃう?」
 と、指し示された紙面を覗き込む。子供や老人、軍属経験のない者は極力除いて当番を決めているのだという。飛空艇にはかなりの人数が乗っているが、そう条件づけると意外と人員は限られている。協力しない理由はない。二つ返事で引き受けると、セルフィはぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。
「ローテーションで公平に順番が来るようにしてるけど、用事があったり今日は眠い~って日もあるでしょ? そういう時は各自で交渉して当番変わってもらってね」
「その辺りは自由なのか」
「こういうのはガチガチに規則を作ると運営に無理が出ちゃうから」
 セルフィは軽くウインクをして見せるが、簡単なことではないのだろう。極めて軽やかに「やんなっちゃうときもあるよ~?」と言ってのけた裏側になにがあるのかは想像できない。
「いきなり一人でっていうと心細いし、最初は誰かと一緒の方がいいよね。希望はある?」
 当番表には知った名前がいくつかある。あいつらも役割を果たしているんだなと感心していると、一つの名前が目に留まった。三日後、東側の担当。
「この日がいい」
「……あたしはいいけど、いいの?」
 セルフィが訝しげに首を傾げる。どうやら、リチャードとレオンハルト不仲説はすっかり知れたものらしい。
「仲直りをしようと思ってな」
 果たして、その日がやってきた。視界の開けた原っぱに落ち着いた飛空艇のすぐそばで火を焚いてレオンハルトを待つ。セルフィから、今日の見張りは二人一組でやってもらうと伝えてある。当然、相手が誰なのかは伏せて、だ。
 避けられているなら、避けようがない状況を作ればいい。場所と時間が定められていて、ついでに邪魔が入らない状況はここしかないだろう。
「お、ちゃんと来たな」
 現れたレオンハルトは、いつかと同じ渋い顔をしていた。おおむね予想通りだ。
「なぜ貴様がここにいる」
「この哨戒に俺も当たることを決めてな。今日はその体験会……とセルフィが言ってた」
「適任は他にいるだろう」
「そうかもしれん。でも、話すことがあるだろうと思ってな」
「俺にはない」
「そんなわけないだろう」
 さすがにそれは無理のある嘘だと断ずる。
「お前が、個人的にどう思っていようが構わないが、周囲の人間が放っておかないだろう。様子が変だと言われている。知ってたか?」
 次ぐ言葉が途切れる。リチャードは焚火を挟んだ向かい側を指した。腰を据えて話そう。言外に伝えると、一呼吸おいてからレオンハルトが静かに腰を下ろす。眉間に深い皺を作って、目を伏せ、そうしてから、重い口を開いた。
「なぜあの時残った」
 それがいつのことか、言うまでもない。
「なぜ俺を生かした」
 理由はいろいろとある。だが、率直に答えても、帝国に与していたダークナイトを生かすまでの決定的な理由には足り得ない、とレオンハルトは考えるだろう。なぜと問いかけた声に、不愉快だと言わんばかりの語気の強さがあった。
 どうやって解きほぐしてやろうか。少し考え、リチャードは嗤うことにした。
「よく考えてみろ、わからんか? フリオニールはお前を殺すつもりだった。マリアはそれを止めようとした。ガイは決心がついていなかった。お前は……本当のところはどうだかわからんが、俺達を殺す気はあったように見えたな」
 挑発的な声音を投げつけても、レオンハルトは眉一つ動かさない。では方向性を変えようか。三つ数える。声に、緊張を乗せる。
「皆バラバラだった。あれで皇帝の相手は無理だ。あの時、俺が一番冷静だった。だから俺が指示をした」
「だとして、貴様が残る必要はなかったはずだ」
 レオンハルトは即座に噛みついた。そうか。この男は皮肉や嘲りではなく、正面から叩き伏せるべきか。そう判断し、身じろぎせず、視線だけをまっすぐに向ける。
「自分はダークナイトであって、お前達の味方じゃないから死んでも構わなかった。そう言うつもりだろう」
レオンハルトが表情を歪める。図星だ。それを一言で切り捨てた。
「違うな」
 もう一つの理由を告げる。
「俺はミンウが力尽きるのを三人と共に見ていた。悲しんで、深く傷ついた三人を見ていた。特にフリオニールは……」
 泣き言らしい泣き言さえなかったが、ぽつりぽつりと、独り言のようにこぼした。
 もっと話をしたかった。ミンウがなにを思っていたか。なぜ自分達に託したのか。納得できなくて、知りたくて、聞きたいことがたくさんある。けれど、死んだ人のことはもうわからない。
 そうつぶやいたフリオニールの表情を、リチャードだけが知っている。何もかもを諦めた表情を。
「あんな顔、させるものじゃない」
 ましてそれが家族なら、間違いなく心が壊れていた。
 だからせめて、生き残ってもらわなければ困る。生き残ったところで彼ら家族がどんな結論を出すのかはわからない。それでも、生きていれば可能性があるのだ。ほんのわずかでも、生きて言葉を交わすことさえ出来れば。
 死んでしまったら、永遠にわからないから。
 重い沈黙が落ちた。

「さて」と一つ頷くと、リチャードは得物を取って立ち上がった。数歩下がって、焚火から距離を取る。
「お前の望みは聞いた。次は俺の番だ」
「……なんの真似だ」
 レオンハルトが胡坐をといて腰を浮かせる。突然剣を抜いたら警戒もするだろう。ピリリとした空気を解くように首を振った。
「不戦の誓い――ディストに伝わる作法だ。二人の戦士が向き合い、剣身を合わせる。過去がなんであれ、同じ飯を食い寝床を同じくする者として、肩を並べて戦い抜こうという誓いだ」
 少なくとも、今この世界では仲間だ。
 剣を構えるリチャードをしばし見つめていたレオンハルトは、やがて立ち上がると倣って剣を抜いた。カツン、と二振りの剣が触れ合う。これでわだかまりはもう無しだ。
「……というのはたった今俺が考えた出まかせの嘘でな。まさか付き合ってくれるとは。お前、素直なやつなんだなあ」
 瞬間、レオンハルトの顔色が変わった。
「言いたいことは、それだけか」
「ああ満足した。お前の話もいくらか聞けたしな。そうだ、聞きたいことがあるなら言えばいい。俺はそうした。お前もそうしろ」
「……聞くことは聞いた」
 不意に、レオンハルトが剣を掲げた。どうしてだかそれが、あまりにも自然で、なんてことのない動きに見えて、頂点に達した剣が風切り音とともに下ろされたのに、反応が遅れた。慌てて剣を構える。重い一撃、けれど受けきることができて、腕に力を入れ直す。鍔迫り合いに負けたら、次の一撃が来る。
「だが、言いたいことはある!」
 ガン! とけたたましい音と同時に衝撃に貫かれた。予想外の、全力の蹴りをもろにどてっぱらにくらった。たまらずよろめいて、不安定な姿勢になったところに上からの斬撃が迫った。かろうじて剣で受けるものの止められるはずもなく、押し込まれ、地面に背がついた。衝撃で剣を握る指がゆるむ。それを見逃さず、手ごと柄を蹴り飛ばされ、さらに間髪入れず胸を踏まれる。
 決定的な勝敗がついた。
「貴様は、あの白魔導士が死んだのを、その時のあいつらの顔を見たと言ったな。俺は貴様を置き去りにしたフリオニールの顔を見た。泣き叫ぶマリアの声を聞いた。真っ白になって震えるガイの手を見た。死んだ貴様を思うあいつらを俺は知っている。死んだ人間には思い知ることもできない姿をだ」
 レオンハルトの瞳は怒りで燃えている。
「あんな顔をさせるものじゃないと、貴様が言えたことか?」
 それは、誰よりもリチャード自身が一番わかっていたことだった。
 本当は、誰も死なないのが良い。でもどうやっても不可能だった。
「いいや」
 リチャードは口元に笑みを浮かべた。
「それはそれ、これはこれだろう」
 レオンハルトの眦がカッと吊り上がった。強烈な意志が突き刺さる。全身を悪寒が駆け巡った。
「俺はっ」
 両手で持ち直した剣を頭上高くに持ち上げた。
 その剣身が黒く歪んだ。レオンハルトが持つ、闇に属する魔法だ。
「貴様のその態度が」
 ああ、避けられない。
「心底腹立つ!」
 全身全霊の剣が振り下ろされた。



「飛竜よ!」
 竜騎士の呼び声に応じて幼い飛竜が舞い降りた。翼がうつ風がパラメキア皇帝だった怪物に襲いかかる。ブレスが地獄の青い炎を食い止める。
 飛竜に守られたのだ。それに気付いたのが一瞬遅かった。レオンハルトは、ほんの一息の間に飛び出した竜騎士を呆然と見送ることしかできなかった。
 怪物と対峙した竜騎士が退却だと叫ぶ。逃げ場もないのに何を寝ぼけたことを、と思いながら、その背に疑問の余地はなかった。この男は既に命運を見定めている。
 飛竜が飛び上がった。旋回に合わせて、咄嗟にマリアを抱えたガイが飛び乗る。続いてフリオニールも飛竜にしがみつく。視界の端でそれを捉えながら、レオンハルトは皇帝であったものを睨んで立ち尽くしていた。この手であのばけものを亡き者にしてやらねばならない。それなのに動くことができないのは、奴が召喚した炎と飛竜が吐いたブレスが壁になっているからだった。
 どうしたらいい。何を駆使したらこの剣があそこに届く? 望む答えのない思考に飲まれていく。誰かの自分を呼ぶ声がどこかから聞こえる。それでもレオンハルトの眼は奪われてわずかも動かせない。剣を強く握りしめた時だった。
「貴様もだ、ダークナイト!」
 竜騎士が、怒号と共になにかを投げつけた。小石のようななにかは炎の壁を越え、レオンハルトは反射的にそれを掴み取る。視線が手の中へ落ち、竜騎士の背へ向き、そして飛竜を見上げた。視線が交差する。ためらいなく、フリオニールが手を伸ばした。
「来るんだ」
 無言で頷いた一呼吸の後、レオンハルトはフリオニールの手を取って飛竜に乗った。
 飛竜が翼を翻す。竜騎士を見下ろして上昇を続ける。パラメキア城から脱して、進路を北西へ。振り向くと、轟音と共に城が崩れていく光景が目に入った。やがて巨大な建造物が蜃気楼のように浮かび上がった。あとに残ったのは、頬を叩く風の音とマリアの嘆きだった。
「飛竜、お願い、戻って。あそこには最後の竜騎士がいるの。あなたと一緒に生きる竜騎士よ。お願いだから、ねえ飛竜、行かないで。リチャードを置いていかないで」
 飛竜は飛び続けた。ペンダントを握りしめるレオンハルトの意思を汲んで、フィン城へ。羽ばたきを一度も止めることなく、まっすぐ向かった。



 どちらが先に息を吐き出したのか、わからなかった。
 黒々とした魔法を纏った剣が、耳の真横に突き刺さっている。
「二度も死ぬかと思った」
「兜に当てたところで死ぬかよ」
「いや、お前、こんな強力な魔法の、しかも全力のやつを防げるほど良い物じゃないぞ」
 そう言って慄くリチャードをレオンハルトは鼻で笑った。地面に刺さった剣を抜くと同時に魔力が霧散する。魔法が完全に解かれたのを確認してから、静かに退いてリチャードを一瞥した。
「当てると、本気で思ったか?」
 疲労の影にわずかな呆れを浮かべるレオンハルトの表情が、思ったわけがないよなと言外に告げている。それはもちろん、リチャードも承知の上だった。だとしても、だ。
「お前の言う出まかせの誓いに付き合ってやったというのに」
「どこが不戦だ! あんな顔で剣を振り下ろされて、命の危険を感じないやつがあるか!」
 しれっと言ってのけられ、さすがに大声を上げた。勢いよく跳ね起きて、弾かれた己の剣を拾いに行く。結局、この剣はまったくもって肉薄しなかった。挑発してまで斬り合いに持ち込んだのは、勝ちたかったからじゃないが、それでも力量差に落ち込む。俺が弱いのか、あちらが強すぎるのか。心の底からのため息が出る。
「俺も魔法を練習しようかな……」
「おい、結局お前はなにがしたかったんだ」
 苛立ちを隠さずに詰め寄るレオンハルトだが、その声音はどこかはつらつとしている。でも、これ以上へたなことを言うとまた怒らせそうだった。
「……俺がここに来たせいでお前が鬱々としているなら、俺が解消するのが責務だし、俺がそうしたいと思っただけだ」
「それがどうして真剣でのやりあいになる」
 誤解なんだがな、とリチャードは口を尖らせる。真剣になってしまったのはその場の流れというやつで、最初からそうしたかったわけじゃない。当初の目的は違う。
「喧嘩をしたかった」
「は?」
 呆気に取られるレオンハルトの背後、ずっと奥に、飛空艇からこちらに走ってくるいくつもの人影を認めた。そこでようやく、喧嘩にしては派手すぎたな、と気が付いた。



「ほんっと、信じられない!」
「いや、自分自身、信じられないと思っている」
「おかしなことをしてるって自覚があるの⁈ じゃあどうしてその時やめないの!」
「それは、ううむ」
 まだ夜明けからは遠い医務室で、リチャードは二の句が継げず、椅子に座ったまま小さくなった。その隣には謝罪以外の言葉を口にすることなく、押し黙るレオンハルトが同じく座っている。
 リチャードとレオンハルトによる派手すぎる喧嘩は、他の地点で寝ずの番をしている者が勘付き、その情報が瞬く間に飛空艇内を駆け巡った。
 今最も微妙な仲の二人が、外で乱闘を繰り広げている。本気で刃を交えている戦士を止めるには、数で抑え込むしかない。
 かくして、成人男性を中心とした鎮圧部隊と、魔法を得意とする者による支援部隊を即席で結成し、事態の収束にかかったのだった。もちろん、その部隊は使われることなく、大抵の者はなんだ勘違いだったんだもう夜中に紛らわしいことをしないでね、といった具合で軽い苦言を二人に告げて解散した。
 その後は当然、身内による説教が始まった。マリア、ガイ、ミンウの三人に医務室に連れていかれ、打撲のあったリチャードはマリアにケアルをかけてもらい、そこからは、この通りだ。
「フリオニールが遠征中で良かった! あなたたちが本気でぶつかったなんて、勘違いでも、どんな顔したと思うの!」
 仁王立ちになったマリアが眦を吊り上げて怒るのも当然だ。つい先ほどまでそんな話をしていた。これには本当に返す言葉が無くて、リチャードとレオンハルトは二人して俯いてしまう。
「ガイもそう思うでしょう?」
 同意を求められ、マリアの隣でじっと二人を見つめていたガイが一歩前に出た。やはり無言のまま、見下ろす。元より口数の少ないガイなのに、これまでにない圧がある。何を言われるだろう。そっと首をすくめた直後だった。
 ガン、ゴン、と。
「うぐ」
「だぁっ!」
 脳天から首までを雷が駆けたような痛み。一切の手加減なく、二人の頭に拳骨が落ちた。
「もう、するな」
 短く、端的だからこそ、ズンと重くのしかかる言葉だ。
「仲良くたんこぶでも作ったらいいのよ!」
 ツンと顔を背けると、マリアとガイはそのまま医務室から出て行ってしまった。
 足音が遠ざかり、深夜の医務室は一転して静まった。そこに、ミンウのため息が落ちる。
「いい歳をして、末の子に鉄拳制裁を受けるとは」
「己の情けなさを実感している」
「ああ、たっぷり反省してくれ。私はガイのそれは治さないよ」
「甘んじて受けるつもりだ」
 リチャードの言葉に続くように、レオンハルトも頷いた。そこに反省の色を見て、ミンウは「それで結局」と二人の前に立って首を傾げた。
「この表現が正しいのか、わからないが……君たちは和解をしたのか?」
「まあ、少なくともわだかまりは消えたかな」
「レオンハルトはどうだ」
「異論はない」
 今一つ不明瞭な言い方だが、リチャードはそれを不安に思うことはもうなかった。四人が本当の家族だと、実感したからだ。
 カッとなった時の表情や目つきはマリアにそっくりだったし、昂った時の口振りはフリオニールによく似ていた。そして、本当に怒った時の攻撃が、全く容赦ないところはガイと同じだったらしい。
 ――いや、逆か。
 マリアも、フリオニールも、ガイも、長男であるレオンハルトを見たからだ。
「レオンハルトはちゃんと兄貴なんだなあ」
「……どういう意味だ、それは」

完全版はいつの日か、きっと! 出ます。出る出る詐欺。以下言い訳コーナー。
冒頭でリチャードが瀕死になってるのもそれをエーコが見つけるのもガイがあんま出てこないのも二部構成だった名残です。フリオが出てこないのは仕様。 オールスター系の作品をまともに書いたの初めてだったので、いろんなキャラ出したくて、試したのですが、ミンウと二人で喋ってるとどっちがどっちかわかんなくなる小説あるあるな理由でバッシュが出せなかったのが残念です。代打はヴァン。とはいえ元々バッシュとヴァンの二者択一で考えてたので、まるく納まったといえる。 ストーリー中盤が消滅したのでエッジとセオドアとレイラとフライヤも消えました。レオンハルトとリチャードの話ならカインは絶対外せないはずが、ほぼ消えました。でも『ぼくのかんがえたさいきょうのリチャード』は一応書けたのでわたし的にはまあヨシ!です。
240728

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