遠ざかる大戦艦から意識を引き戻したのは、ミンウの「いけない」という一言だった。
「フィンに向かわねば」
皆まで言う必要はなかった。四人は顔を合わせてひとつ頷くと、すぐに踵を返した。大戦艦の速度に追いつくわけがない。けれど、急がない理由はなかった。
山を迂回して平原を通り、森に足を踏み入れたところで、「フリオニール」と、ガイが腕を引っ張った。フリオニールはそれが、あまり他人に話を聞かれたくない時のガイの癖であり、主張だということを知っている。
「血の臭い、町の方」
小声で告げられた内容に顔が曇ったのを自覚した。失念していた。パラメキアの目的は反乱軍の壊滅だけではない。文字通り、全てを破壊し尽くすことだ。
バフスクからアルテアへ真っ直ぐに向かったとするなら、通過する町はポフトとパルムの二か所。ガイの嗅覚を信じきっているフリオニールは、ポフトは襲撃されたに違いないと確信した。そして、その被害が凄まじいであろうことも。いくらガイが敏感とはいえまだ町からは距離がある。森の中で、血の臭いなんかわかるわけがない。
「ガイ、悪いけど……」
言わんとすることを察してガイはすぐに頷いた。この心優しい弟は人の機微にまで敏感だ。感謝の意味を込めて肩を叩いてから、歩く速度を緩めて後方を歩くマリアに並ぶ。
「マリア、ちょっといいか」
「どうしたの?」
「ポフトの方角から血の臭いがするってガイが言ってるんだ。平気な振りしてるけど、たぶん、無理してる。町についたら外でガイと一緒に待っていてくれるか」
「ええ、わかったわ」
少し顔を強ばらせたマリアが了承して、こっそり安堵した。
それじゃあよろしく、と念押ししてから再び先頭に出る。一連の会話を黙って聞いていたミンウが「君は」と口を開いた。
「いいのか。町の様子を見るだけなら、私一人でも問題はない」
「問題あるさ。ミンウを一人で行かせられない。それに、見ておきたいんだ。見ないといけない」
取り逃した結果に起こった惨状の、その現実を。深呼吸で覚悟を済ませ、フリオニールは町へ足を進めた。
ポフトは一変していた。深く抉られた大地と、今にも崩れ落ちそうな家屋と、血の臭い。二人を連れてこなくて良かったとフリオニールは心の底から思った。同時に、考えずにはいられなかった。アルテアはどうなっているだろう。爆撃が免れないのは当然としても、被害はポフトよりも大きいに違いない。パラメキアはフィンの残党がアルテアに逃れたことを把握しているだろう。一気に潰しにかかろうと目論むのが当たり前だ。それに、町の壊滅だけではない。事実上の指揮者であるヒルダが、死んだら。
人の姿を求めて着いたのは聖堂の前だった。男が一人、煤にまみれた衣服を纏い、背を曲げて立っている。その視線の先はこんもりと膨らんだ布が並んでいた。何を覆っているかは、言うまでもなかった。
足音に反応して佇んでいた男が振り返る。フリオニールとミンウはその顔に覚えがあった。
「あんた達は……」
枯れた声が特徴的な定期船の船主だった。
「無事だったのか」
「運良くってところさ。おれは港で船を見ていたからかすり傷で済んだ。他のやつらはほとんどやられちまったよ」
「……船は砲撃されなかったのか?」
訝しんで尋ねるフリオニールに対し、船主は自嘲するように口元を歪めた。
「そうだ。ヤロウ、船には見向きもしなかった。シドの飛空船にもな。町だけを狙っていったんだ。一瞬だったぜ。あちこちで爆発が起きて、気がついたらこの有様だ。外にいたやつも家ん中いたやつも、みんな死んだ。聖堂とパブはどうにか耐えたんだけどなァ」
「遺体は、全てここへ?」
「集められる分はな」
運ぶことができない屍もあったことは、多分な意味合いを含む言い回しで察した。
そうかと呟くと、ミンウは聖堂に―粗末な布の下で眠る町民に向き直った。膝をつき、指を組む。マスクで隠れた口から、やわらかな声音が漏れた。それは、祈りの詩だった。古の言葉で綴る祈りの意味はフリオニールには理解できない。それでも、哀愁を帯びた低い声は漣のように広がり、傷心に染みてゆく。短い吟詠を終えすっくと立ち上がったミンウを見て、男が呻いた。
「そう、か。あんたは白魔導師だったな。ありがとうな。死人を悼むやつすらいないんだ、生き残ってるやつは、自分のことで手一杯でよお」
憔悴しきった男は、乾いた笑みを浮かべるばかりだった。感覚が麻痺しているのか、それとも既に涙は枯れてしまったのか、フリオニールはわからない。ただ、漠然と、遣る瀬無さを感じた。一方で、男に礼を言われたミンウは、静かに首を振り、あくまでも平静だった。
「いや、これが私の務めだ。他の生き残りはどこに?」
「パブだ。人間も物資も、無事だったやつはみんなそっちにいる。おれァ荷物を運んでる最中だ」
「俺も手伝うよ」
「ああ、ありがてえ。今はまともに動けねえやつの方が多い」
「それと、船が無事ならパルムまで動かして欲しい。頼めるか?」
「船か、整備さえできりゃ今日中には出港できるだろうさ。いいぜ、いくらでも出してやるよ。あんた達は戦ってるんだろ。だったら、協力は惜しまねえさ」
ミンウの要求を二つ返事で呑んだ船主について、二人はパブへ向かう。パブに集まった人々は一様に怪我を負っていた。ミンウは重傷者を優先しつつ、一人一人に魔法を施してゆく。それを横目で見つつ、フリオニールは言われるままに荷物をパブに運び入れた。数は少なく、すぐに手持ち無沙汰になって、ついでにパブの周囲の瓦礫を片づける。
人々は疲れ切った表情を綻ばせて、口々に感謝の言葉を贈る。
ありがとう、ありがとう。祈りを捧げてくれてありがとう。傷を癒してくれてありがとう。手を差し伸べてくれてありがとう。戦ってくれてありがとう。
そう告げられる度に、フリオニールの胸には苦々しさが募った。
出航は西の空がうっすらと色づき始めた頃だった。この調子なら日付が変わる前にアルテアに辿り着く。
航海の最中は歩き通した体をしっかり休めること。ミンウの言いつけに頷き横になったフリオニールだったが、気が休まらなかった。胸の奥のつかえが取れない。簡素な寝床の上でごろごろと落ち着きなく転がって、これはどうしようもないなと諦めるとすぐさま甲板へ向かった。
潮風にあおられる白い装束に、目が眩んだ。
「おや、どうしたんだフリオニール」
「船室にいなかったから」眩しさから目を逸らして海を見遣る。「ミンウが起きているなら、話がしたいと思って」
「構わないよ」
頷いたミンウは端に並んだ木箱の上に腰を下ろした。手招きに従って、フリオニールも隣に座る。冷静に話がしたい。努めて呼吸を整える。それでも口をついたのは、素っ気ない、粗野な言葉だった。
「みんな、喜んでいた」
「ポフトの、か? そうだな。あの状況で五体満足の人手は喜ばれるものだ」
「そうなんだけどさ」
「なにか不満が?」
「だって、お礼なんて言われることないんだ」
フリオニールは憤った。
「俺はミンウのような魔法は使えない。それどころか、大戦艦を止めることができなかったんだ。町のみんなはそれを知らないだけで、俺が、大戦艦を破壊できていたら、こんなことにはならなかった。責められてもおかしくない。俺は取り返しのつかない失敗をした」
「それは君一人の責任ではない。任務に失敗したのは私も同じ。マリアもガイも、そうだ」
淡々と告げられたミンウの言葉にカッとなり、フリオニールが噛みつくように振り向く。苛烈に燃える瞳を真正面から受け止めても、ミンウはやはり平静で、冷ややかまであった。しばし睨みつけていたフリオニールだが、不意に毒気を抜かれたように肩を落とした。打って変わって、眉を垂らして俯く。
「だとしても、俺はできない。あなたのように誰かの傷を癒すなんて。……俺が、できないんだ」
魔法の修練不足が理由ではなかった。たとえ、高等魔法が使えて、傷を治すことができても、本質的に人を癒すことはできない。
それは、心の問題だった。フリオニールはいのちを殺すために剣を振るい、魔法を操る。フリオニールがかつての平穏を取り戻さんと決意した時、真っ先に武器を求めた。魂の形がそう在った。
短い吐露を汲み取り、ミンウは瞳に慈愛を滲ませた。
「君の美点は、自分を正しく見つめることができることだな。だが同時に、自分に求めすぎている。人には限界があることも、正しく理解しなければならない」
すうとミンウが立ち上がる。再び白い衣装がはためいて、しかし、どうにか直視した。
「死者には祈りを。生者には癒しを」
そう言ってミンウは胸に手をあて、暮れゆく空へ視線を投げる。
「それが私の成すべきことであり、できること。フリオニール、君にできることはなんだ?」
フリオニールは考える。俺には、ミンウのような癒しの力はない。ならば。
「俺は、死者に誓う。あなた達の命を忘れないと。そして、生者に誓う。必ず帝国を打ち倒すと」
胸に拳を。きつくきつく握りしめて、言葉を刻み込む。ミンウはフリオニールを見て頷いた。
「君には君の役目がある。きっと、それが正しい」
とん、と軽く背中に掌が当たる。触れられた場所から鬱屈した思いがやわらぎ、霧が晴れる心地だった。それが、魔力に頼らない魔導師の力だということをフリオニールは知っている。
気づけば胸のつかえは消えていた。