ともすればジャンクの寄せ集めにも見えるその場所が、アベルーニの瞳には宝の山に映った。メイン通りこそ整備されているものの、一歩外れると途端に様相が変わる。シャッターの下りた飲食街。古めかしい集合住宅。どこもかしこも工事中で養生フェンスに道を阻まれるし、積みましたような建物に囲まれているから空が狭い。かと思えばトタン屋根の平屋が残っていたりもする。整然としたところのないバンカラ街。いつか、自分が初めてハイカラスクエアに赴いた時の光景と似ている。それこそが、活気に満ちている証でもあった。
 新しい楽しみを探しに。そんな、いかにもインクリングらしい理由で、アベルーニはハイカラスクエアを飛び出してきた。姉達には抗議されたが、末弟の意志が固いと見るやいなや、くるりと手のひらを返して「向こうで面白そうなものを見つけたら絶対連絡しろ」と厳命を下された。このミッションはすぐにでもクリアできるだろう。何枚かの写真を撮ってアベルーニは確信する。

 一番の賑わいを見せているのはナワバリバトルの入り口である高層ビルだった。この街でも中枢を担っているらしいオオデンチナマズは、やっぱりビルに絡みついている。
 そのオオデンチナマズを、じっと見上げる後ろ姿があった。
 ビルに入っていく者、出てくる者、話し込む者……そんな喧騒の中で、その後ろ姿はいやに目についた。そこだけ時間が切り取られているかのように、見上げた姿がは動かない。アベルーニの目にはなんの変哲もなく見えるオオデンチナマズを見ている。
 どんな楽しみがあって見ているんだろう。そう思った瞬間に、アベルーニの足が前に出た。
「なんか気になることでもあんのか?」
 隣に立って声をかけると、弾かれたように振り向いた。一本を横に流し、三本を三つ編みにしてまとめた髪型。オクトリングだった。
「え?」
「今、オオデンチナマズ見てただろ。なんかあんのか気になったんだよ」
「いや、えっと……いるなあって思って」
「ん? ああ、いるな」
 どことなく煮えきらない喋り方をする。なんかぼんやりしたやつだ。アベルーニは首を傾げる。――イカした髪型してんのに、中身はあんまイカしてないなこいつ。
「えっと、僕、ここに来たばかり……みたいな感じで、あまり勝手がわからなくて」
「俺もこの街来たばっか!」
「そう、なんだ」
「だからとりあえずナワバリバトルに行くところ!」
 楽しみを見つけるには、情報と人脈だ。イカの集まるところに情報は集まるもの。知らない誰かでも一度チームを組めば知り合い。アベルーニはこの二つの信条を元にナワバリバトルのロビーへ向かうところだった。だが、このイカしたようなイカしてないようなタコは違うらしい。元々ぼんやりとしていた顔が、さらにとぼけた表情を見せる。
「ナワバリバトル……って、楽しい?」
「お前やったことねえの?」
「名前を聞いたことは、あるけど」
「へえ。めっずらしいな」
「そうなのかな」
 へにゃ、とタコが眉を垂らして、どこか眩しそうに目を細める。ヒト型になれるようになったイカは誰しもがまず最初にナワバリバトルに挑むものだと思っていたアベルーニには、この反応は全く未知だった。
 オクトリングの知り合いが多いわけでもない。なにせ、ハイカラスクエアではあまり数を見なかった。ここ、バンカラ街ではそこらじゅうを闊歩しているけれど、このオクトリングは、どうも違う気がする。それに、せっかく結んだ縁だ、と思った。
「じゃあ、ナワバリバトル一緒にやろうぜ。やり方教えるから」
 ぼんやりしたタコに、驚きの表情は見られなかった。ぼうっとアベルーニを見つめ、それから一つ頷いて「お願いしようかな」と調子を変えずに呟く。
「僕、弓鶴です」
「俺はアベルーニ! よろしくな」
「うん。よろしく」
 ニッと歯を見せて笑ってみせたアベルーニに対して、弓鶴の口端は真横に伸びたまま。どこまでも希薄な表情だが、アベルーニは悪い気がしなかった。楽しみを探しに来たアベルーニの直感が、弓鶴というオクトリングのそばにいることを選んだ。

*

 見上げると、無数の窓。ほんの少しの隙間も逃すまいと建てられた集合住宅のビルが、バンカラ街の景観を作っている。窓という窓に服が吊るされ、室外機はひっきりなしに回っている。ワンルームはどこも満杯だ。要するに。
「住む場所が、ない……!!」
 裏通りの一角。ベンチで項垂れるアベルーニのうめき声を、弓鶴は隣で呑気に聞いていた。ここのところの弓鶴は売店のドリンクを制覇するのに忙しい。
「君、ホームレスなの」
 咥えたストローをそのままに相槌を打つ。
「いや、ハイカラスクエアの近くにあんだけど」
「そこから毎日通ってる……ってわけじゃないよね」
「さすがに遠すぎるからな」
 曰く、ラウンジバーでくだを巻いたり、ロッカールームで雑魚寝したり、夜通しナワバトラーに興じたり、いっそバイトに明け暮れたり。いろいろと時間を潰す方法はあるようだが。
「いい加減しんどい! ぐっすり休める我が家がほしい!」
 わあっとおおげさな泣き真似をするアベルーニだが、本心には違いない。現に、バトル中の動きは精細を欠いている。後衛よりのスロッシャー種ならまだしも、ヒッセンなど持たせた日にはどうなることだか。逃げる間もなくインクをまき散らす姿を想像したところでずず、とストローから濁った音が鳴った。本日のドリンク、完食。
「部屋、空いてないんだ」
「全っ然ない。入ってくるやつばっかりで出てくやつはほとんどゼロなんだってよ」
「ヤガラ市場の方とか、ありそうだけど」
「あそこは街から微妙に遠くてヤダ」
「ワガママだなあ」
「逆によー、弓鶴はよく住むとこ見つかったな」
 弓鶴とアベルーニがバンカラ街にやってきたのはほぼ同時期だ。街に来てすぐに住む場所を探し始めたアベルーニからすると、当然のように部屋を借りている弓鶴が信じられない。
「まあ、ちょっと融通してもらって」
「はあー? 羨ましいな」
 ため息まじりのアベルーニの言葉に他意は見られない。このインクリングには裏表がないと弓鶴は既に知っている。だから、羨ましいの一言に対して気を回してやる必要なんてないのはわかっていたけれど。
「じゃあとりあえずさ、今日は僕の部屋泊まる?」
 きょとんとしたアベルーニと目があった。
 ナワバリバトルもアルバイトも、必ずと言っていいほど二人一緒に出ている現状、片割れの過度な不調は見過ごせない。アベルーニのチョーシは僕のチョーシにも直結するんだから。
「布団貸すよ」
 まじまじと見つめたアベルーニは少し顔色が悪い。まともに眠れていないんだ。その不健康な顔に、アベルーニは満面の喜色を浮かべた。
「マジで? いいのかよ?!」
「とりあえず、だからね」
「すっげぇ助かる! めちゃくちゃ嬉しい! 弓鶴!!」
 ベンチの上で身を乗り出したアベルーニから逃れるように立ち上がる。勢いのまま抱きつかれそうだった。全身で感情表現をするインクリングについていけないことが度々ある。アベルーニの場合は特に顕著で、喜んでくれるのはいいけど一人でやってくれないかなと思うのだった。

弓鶴は新3号ポジションなんだけど匂わせみたいな描写しか入れてなかった。気分次第でまだ続きます。タイトルのジャングルは『jangle』の方です
初稿 20221116
加筆 20231010

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