ブルームパレスに繋がった新たなイドラスフィアには、不思議な宝箱が眠っている。ここのところ、フォルトナはその話題で持ちきりだった。
 叶えたい夢。理想の姿。望む未来。探し出した宝箱には、そんな願望の結晶が閉じ込められているという。
 どんな不可能をも可能にする、とはいかないけど、ちょっとした願い事が叶う。人間だろうとミラージュだろうと、関係ない。
 収録だのリハーサルだのと忙しかった俺は噂のイドラスフィアにまだ入ったことがなくて、だから暇そうにしていたカインに「お前も見てこいよ」と軽い調子で言った。
 俺の相棒は何を望むんだろうという邪な下心と、あいつの喜ぶ顔が見たいという純粋な好奇心。正反対の気持ちを両手に事務所に戻る。「おかえり」と俺を迎えてくれたのは、初めて見る、赤い髪の男で。
 俺はすぐに、それがカインだと気づいた。

「来たな、トウマ」
 事務所の裏手、狭い路地、約束の五分前。既にカインはそこで待っていた。久しぶりに丸一日取れた休暇だったけど、一緒に出掛けたいと誘われた時はすぐに「おう、いいぜ」と返した。
 カインが人間になることを望んだのは、東京の街を歩きたかったからだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、改めて人間になったカインを観察する。ミラージュの面影はあるし外国人っぽい顔立ちだけど、なんの変哲もない普通の人間だ。声はミラージュの時と全く同じで、背は少し縮んだけど俺より高くて、それから、俺と似た赤い髪。これは、普通っていうには特異か。
「それって地毛?」
「ん?」
「赤に染めたのか?」
「そんな覚えはないな」
 ということは地毛なんだろう。わざと俺を真似たのか、ミラージュとマスターの繋がりのせいなのか、それとも、元々……これが、戦いで姿が変わる前のカインなのかもしれない。その疑問を口にするのは、なんとなく躊躇われた。
「なんでカインは、人間になりたかったわけ」
 眉を寄せたカインは、なにを言っているんだと言いたげな顔で。
「いや、俺は」不自然な言葉の区切り。「走ってみたかった」
 あ、今、なにか言いかけてやめたな。でもって、誤魔化す気がないだろってくらい、雑に繋げた。わざとらしく、こっちの顔をじっと見つめて。まあ、わざわざ言及するほどでもないけど。
「走るってどこを」
「場所はどこだろうと構わない」
 不意にカインが背を向けた。次の瞬間、カインの目の前にバイクが現れた。朱色の塗装が目に眩む。ええ、と声が漏れた。そういうところはファンタジーのままなのかよ。
「今までもこうして出していただろう」
 今までも。言われてみれば、カインが変身する時は一瞬だ。二足歩行から二輪駆動へ。原理としてはあれと同じなのかもしれない。だとしても今は見た目のインパクトがデカすぎる。つか、いくら人通りが少ないとはいえイドラスフィアじゃないんだからこういうことを――。
 ヘルメットを被りながら不思議そうに首をかしげるカインを見ていたら、どうでもよくなった。突っ込んだら負け、ってやつ。
「はいはい。確かにいつも通りだな」
 ヤケクソ気味の返事をすると同時に、ヘルメットを渡された。顎までしっかり覆うことができる、スモークシールドまでついた高そうなヘルメット。
「ほら、行くぞトウマ」
 慣れた様子でバイクに跨がるカイン。その後ろに乗っかる。持ってて良かった運転免許。全く経験がない状態でいきなりタンデムはさすがに怖い。凰牙の撮影に必須だからって大急ぎで合宿に申し込んだのが、まさかここでも生きるとは。
 カインがバイク形態(って俺が勝手に呼んでる)の時は座席の後ろに上半身がある。だから、こうしてカインの背中が目の前にあるのは、妙な感じがする。
「どこ! いくんだ!」
 ばばば、と耳を叩くエンジン音に負けないよう声を張り上げる。ところが、「聞こえている」と返事をした声は、なんの障壁もないクリアな音で頭に届いた。姿を消していながら話しかけられた時のような。というか、そのままだ。
「どこか景色の良いところへ」
 気ままに楽しげな様子さえ伝わる。カインは金を持ってないし、俺もツーリングに行くとは考えてなかったから、財布の中身は心許ない。となると高速は使えない。下道で行ける範囲、あまり遠くないところ。それで、景色か良いところといえば。
「じゃあ海」
「海だな」
「言っとくけど、お台場はなしだからな」
「了解した」
 どうやら、東京を回りたいってわけじゃないみたいだ。頷いたカインが地面を蹴ってバイクは走り出した。土地勘ないくせにわかるのかよ。言ってやったら、自信満々に答えた。
「ここから海岸線に出る方角はわかる」
 そりゃ、誰だってわかるんじゃねえかな。
 南に直進して水平線が見えたところで、バイクは東へ。湾岸道を進む。この道をずっと走っていても、先にあるのは見慣れた東京湾だけだ。俺はスマホで道を調べて、せっかくだから、と途中で道を外れるよう提案した。どうせなら太平洋が見たい。カインは二つ返事でハンドルを切った。
「良い風だ!」
「安全運転で頼むからなあ!」
 半分茶化すように、でももう半分は本気で叫んだ。歓声をあげるカインの顔は後ろからじゃ見れない。顔が見れないのはいつものことだけど、人間の姿を得たカインなら表情だってある。笑っているのは声でわかるから、顔が見たいなと思った。
 片道一車線、畑と一軒家が続く道路を、カインの背中にくっついて走る。海が見える場所まで再びたどり着いたのは、丁度昼頃だった。
「腹減ったあ」
 海岸沿いにバイクを停めて、防波堤に座ってランチタイム。といっても、道の駅で買ったサンドイッチにかぶりついたのは俺だけで、カインはなにも口に入れない。
「カインは平気なのかよ」
「忘れたか? ミラージュに食事は不要だ」
 トマトサンドがうまく飲み込めなかった。むせるほどじゃないけど、なんとなく、喉に引っ掛かってる気がする。その違和感は水で押し流した。
「そういえば、そうだったな」
 完全な人間にはなれてないんだ。
 そりゃあ、そうだ。本当の人間は、なにもないところにバイクを出せないし、エンジンと風の音に遮られちゃ声は届かない。
 宝箱は万能じゃない。不可能がある。今の姿は、人間の姿を模しただけで、ミラージュの本質はなにも変わっちゃいない。
 それでも。
「海の風も、心地良いな」
 目を細めるカインは、楽しそうだ。ヘルメットを外して、俺の隣で胡座をかくカインの横顔は、最初に俺が見たいと思っていた表情だ。
「じゃあ次は、山にも行こうぜ」
「ああ、いいな。木々の澄んだ空気も好きだ」
「今度は俺がカインを後ろに乗せてやるよ」
 そうしたら、今度は高速道路に乗って遠くまで行くのもいいかもしれない。

イベント無配だったものにちょっとだけ加筆。タンデムするソシアルコンビが見たいなーっていう。湾岸道からR126に入って九十九里浜に行くイメージ。
200215

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