ここだ、と案内されたマンションを見上げて、フリオニールは思わずため息をついた。昨年完成の新築、15階建て、オートロック、宅配ボックス付き。
「もう少し奥にスーパーと薬局がある。駅からは10分だから近いとは言い難いな」
「いや……前は20分かかったから、十分です」
「そうか。部屋は8階だ」
 自動ドアを抜けてエントランスを通過する間も、きょろきょろと見回すフリオニールを見て、カインは苦笑した。
「よくあるマンションだぞ」
 カインの言う通りなのだろう。けれど、戸建ての家に住んでいたフリオニールには珍しいものばかりだ。こんなところに住むのだろうか、住めるのだろうか、と期待と不安で落ち着かない。そうこうしているうちにエレベーターが8階のランプを点灯させた。
 805号室。角の部屋が、目的の物件。呼び鈴を鳴らしたものの反応はない。が、カインは驚いたようすも困ったようすもなく、合鍵で部屋を開けた。
「俺はウォーリアを起こしてくる。悪いがリビングで待っていてくれ。他の部屋を見ていても構わない」
「わかりました」
 そう告げると、カインは早足で部屋の奥に向かった。玄関に取り残されたフリオニールは、鞄から取り出した間取り図を片手に靴を脱ぐ。間取りは既に確認したが、実際に見ないと住む想像はできない。廊下はなく、玄関ホールから扉一枚でリビングに繋がっている。扉のすぐ左側がキッチンで反対は風呂場。個室はリビングを挟むように向かい合っている。空いているのは右側の部屋だ。そこがフリオニールの部屋になる、かもしれない。
  キッチンをちらりと覗く。写真で見た通りの、広いシンクに三つのコンロ。ああ。思わず感嘆の息を漏らした。
「やっぱり、大きい家だとこれがいいよな……」
 カインには言っていないが、ルームシェアを選択した理由の一つに、キッチンが広いということがあった。一人暮らしの部屋ではほとんど得られない条件だ。
 使った形跡はほとんど見られない。自炊はしないのだろうか。まあ男一人だったらそんなものかな、と思ってから、ふと気づく。リビングを見渡しても、そうだ。あまりにも部屋に物がない。
 リビングには、テレビにソファ、サイドテーブルが置かれている。一見すると、一人で暮らしているには豪華なほどだと思われるが、そこには生活感がまるでなかった。例えば、雑誌だとか置物だとか、ぬいぐるみ……は男の部屋にはないにしても、テレビのリモコンですら小物入れにきちんとしまいこんである。
 ダイニングテーブルについて、フリオニールは部屋の主の性格を想像した。来客があると知って隅から隅まで掃除をするほどの人、だとしたら、出迎えずに寝ているなんてことはない。それでは単なる綺麗好きか。だが清潔感と生活感は比例しない。これも違うだろう。そもそも、ルームシェアなのだから、共用部分であるリビングやキッチンには私物を持ち込まないのが普通なのかも知れない。
 それはちょっと、窮屈だな……。
 一抹の不安がよぎった時、個室の扉が開いた。フリオニールは反射的に立ち上がる。「待たせたな」と言うカイン後ろから、長身の男が現れた。

「こいつがこの部屋に住んでいる……」
「ウォーリアと呼んでくれ」
 カインの紹介を押し退けるように、男が名乗った。どこか、圧があるように聞こえたのは気のせいだろうか。
「こんな成りですまない。カインから聞いているだろうが、私はほとんど深夜勤で、普段この時間は寝ているのだ」
「ああ、いや、こちらこそ……」
 返事をしつつも、軽く頭を下げるウォーリアに自分がたじろいでいることを自覚した。めつきが、声音が、その存在が、ものすごい威圧感を放っている。
「早速で悪いが、君が私と同じ家で暮らすことを考えているのなら、言っておかなければならないことがある」

「先程言ったことの繰り返しになるが、私は深夜勤だ。夜中か朝方に帰ってきて、昼過ぎまで眠る生活をしている。だから家事の分担はできない。特に料理はほとんどしないしできない。その点を君に頼るつもりはないが、君も私をあてにするのはやめろ。それから、私がこんな調子なのは寝起きで初対面だからだと思っているかもしれないが、誰に対してもいつもこうだ。つまらない男だとよく言われる。話していて楽しい人間ではない。“友人との共同生活”に理想があるのなら勧めない」
 淀みなく告げられる内容は、確かに、一般的に想像するルームシェアとはかけ離れている。これでは相手が決まらないのも頷ける。決まらないからこそ、ウォーリアも暗記したようにすらすらと言えるのだろう。もう既に、何度も断られたのかもしれない。
 一旦話すのを止めたウォーリアは視線を外して、「それでも、」と歯切れ悪く続けた。
「それでも構わないと言うのなら、喜んで……歓迎しよう」
「わかった。考えてみるよ」
 少し高いところにある目をしっかりと見つめ返して返事をすると、ウォーリアはひとつ頷いて「もう一眠りしてくる」と独り言のように告げ、部屋に戻っていった。



 斡旋を頼んでおきながら、無理だろうと思っていた。
 客観的に考えて不可能だ。まず、見ず知らずの人間とルームシェアをしようと考える人間が少ない。その相手が昼夜逆転生活を送っているなんて不安になるに決まっている。そして極めつけに、この愛想の無さだ。我ながら、こんな男と好き好んで同居生活を送ろうという奴の気が知れない。
 だから、思わず大声をあげてしまったのは仕方がない。


「どうしたんだい、ウォーリア」
 バックヤードに顔を覗かせたセシルは、声を上げた主、ウォーリアが携帯電話を耳に推し当てているのを見ると、首をかしげながらも何も言わずに去っていった。ひらひらと手を振っていったのは、あとで教えてね、のサインだ。
 ウォーリアはそれに片手を上げて答えつつ、再び通話に集中した。
「それは、本当か?」
「嘘をつく理由もない」
 機械越しの声に呆れた様子がないのは、相手もーーーカインも驚いたからなのだろう。
 ウォーリアのルームシェア相手が決まった。先日顔を合わせた青年だった。
 そうか、と感嘆と共に脱力する。どうせ今回も駄目だろうと思っていた。今まで挨拶をした者の中では、一番手応えがあったのは確かだ。あからさまに嫌な顔をしなかったりだとか、検討を頼んだ時の比較的前向きな返事だとか、そんなところが。それでもやはり、どうせ無理だろうと、言ってしまえば、たかを括っていた。
 あの青年と、暮らすことになるのか。
「引っ越しだが、来月を予定しているらしい。早ければ二週間後だな。その前にもう一度会っておきたいと言っていた。俺が仲介をするから予定を教えろ」
「ああ、……ああ、わかった」
 手帳を捲りながら日付を告げる。時間はこちらに合わせて昼過ぎから夕方の間になるらしい。あの青年は、ウォーリアが午前中と夜は動けないと言ったことを覚えていたらしい。ぽかんとした表情しか思い出せないが、しっかりした人物なのだなと思った。そこで、ふと気づく。
「カイン、すっかり忘れていたのだが」
 自分は相手に選んでもらう立場で、こんな条件だからどんな相手だろうとありがたいとは言っておいたが。
「私は彼の名前すら知らない」
 ウォーリアは、本当に何も知らなかった。見た目しか知らない……いやそれどころか、見た目すらうろ覚えだ。
 一呼吸置いた電話口から、「あの時はお前が自分の睡眠欲を優先したからな」とやや冷ややかな返答を寄越されて、ウォーリアはぐうと奥歯を噛む。まさか、決まるとは思っていなかったから。
「名前はフリオニール、年は18、進学のために部屋を探していた。個人情報だから、俺から言えるのはこれくらいだ」
「わかった、ありがとう」
「……あ、あと性別は男」
「それはわかっている」
 カインの雑なボケをいなしつつ、わずかな情報を手帳に書き込んだ。
 フリオニール、18才、進学。
「まあ、俺が話をした分には、普通だったぞ」
 日にちが決まったらまた連絡する、という言葉を受けて電話を切ったウォーリアは、しばしその文字列を眺めていた。プロフィールと称するにはお粗末な単語の羅列。単語の意味以上に得られるものはなかった。
 もう一度会ってみないことには、言えることは何もない。
 手帳を鞄にしまい込んで、ウォーリアはバックヤードを後にした。それから二日後、カインからのメールで、顔合わせの日が決まったことを受けた。

DFFではなくFFクロスオーバー
180109

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