「ここ、どこだろう……」
 立ち上がって辺りを見渡す。と言っても、見渡せるほど広い空間ではなかった。さっきまでの液晶が並んだ場所とは打って変わって、窮屈な部屋。ただ、同じダイバースタジオ内だということは暗い色の壁と床から判断できた。
「出口はどこだろう」
 見たところ扉らしきものはない。四方の壁も低めの天井ものっぺりとして、床だって何の変哲もない、わけじゃなかった。一カ所だけ白いタイルが敷かれている。近付いてよく見ると、そこには文字が。……読みたくなかった文章が。
「クロム、これ……」
 正直、あまり見せたくはない。でも、見せないとこの部屋から脱出できないんだろう。
『キスをしないとこの部屋から出られません』
 単純明快、なんてわかりやすい課題だ。その上やろうと思えば誰だってできる、とても簡単な。
「これは……」
 でも、クロムの声は少し固い。そりゃあそうだ。この部屋には俺たち二人しかいなくて、当然俺とクロムは恋人でもなんでもなくて、それなのに、キスをしなければ出られないなんて。というか、その前に。
「クロムって口あるのか?」
「イツキ……」
 さっきとは一転、呆れたような声。見たことがなかったから聞いたけど、やっぱり愚問、だったんだろうか。クロムは襟元を押さえて顔の半分を覆うマスクに指をかけた。手つきが少し乱暴だったのは不機嫌の証拠かな。
「この通りだ」
 シャープな輪郭と一緒に口元が露わになる。ああ、ちゃんとあるんだ……とまじまじと見つめる。こうしてクロムの素顔を見るのは初めてだ。ちゃんと見ると、結構、いやすごく、綺麗な顔をしている。
 自分で言うのも何だけど、フォルトナに入って芸能界に関わるようになって、俺は相当に目が肥えた。テレビの向こう側の美男美女を頻繁に見ることになったからか、人の顔に見惚れることはほとんどない。それでも、クロムの顔を見て第一に綺麗だと思った。やっぱり、日本人じゃないから、かな。美形とかイケメンとか、そういう言葉は出てこなかった。端正で、とても綺麗な顔。
 思いがけず目が離せないでいると、その整った表情が不意に曇った。
「どうした? イツキ」
「あ……いや、えーと、心の準備、かな?」
「心の準備……」
「誰が相手だろうとキスは緊張するだろ」
 少し顔が熱くなったような気がして視線を逸らす。考えてみれば、前にここで鱈知乃監督と対峙した時と同じはずだ。ミラージュを追い詰めるためにキスをしなければいけない。違うのは、あの時は台本があって、相手がツバサで、形振り構っていられないほど真剣だったことくらい。そんなに状況は変わらない、はず。
「早くここから脱出しなきゃいけないし、ほらクロム、ちょっと屈んで」
 ぐいとクロムの手を引っ張る。複雑そうな面持ちが近付く、と思ったらそのまま下へ。屈むを通り越して、クロムは片膝をついた。
「クロム?」
「これも、口づけにカウントできるだろう」
 クロムを掴んでいた俺の手が、逆にクロムに取られる。そのまま唇が落ちるのを見ていることしかできなかった。ふに、と指先に柔らかい感覚。静かに顔を上げたクロムの、真剣な眼差しに射竦められる。
 呆気に取られていると、クロムが破顔した。
「唇同士で、とは書かれていない。案外イツキはロマンチストなんだな」
 さっきまで俺の手に触れていた唇が笑う。少し、どころじゃない。火がついたような熱が全身を襲う。とにかく、なにか反論を。口を開いた瞬間だった。
 ぴんぽんぴんぽーん。
「うわっ?!」
 言葉にするならそんな音だろう。場違いな、でも聞き慣れた音が部屋中に響いた。
「この音は……?」
「えっと、今ので良かったみたいだ」
 気の抜ける音が、俺の知ってる用法と同じ使い方なら。

クロ樹は『キスしないと出られない部屋』に入ってしまいました。20分以内に実行してください。 https://shindanmaker.com/525269
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