「これ、演奏してくれないかな」
珍しく真面目に作曲らしきことをしていたスマイルが、ぽんと手渡したのは手書きの楽譜だった。
ユーリはそれにさっと目を通して瞠目した。音符の連なりと重なり、流れるような楽譜は、まぎれもなくピアノのものである。なぜスマイルがこんなものを書いたのか、というより書けたのか。
ひとまず疑問は隅に置き、ユーリはひとつ頷くと、鉛筆を持って譜面を確認しつつ城の一室に向かった。物理的に難しい無茶な指運は、見当たらない。
「お前にしては洒落た曲だな」
主旋律は見当たらない伴奏。頭に思い描くメロディーからして、ジャズのようだった。これにウッドベースとドラムスと、トランペットかサックスか、ボーカルでも良いが、そんなものを合わせれば音楽として成り立ちそうだ。
珍しがって後方を行くスマイルを振り返ると、三日月の口が苦笑するようにたわんだ。
「ん、まあ僕がつくったんじゃないし」
「そうなのか? では、誰が」
訝しんだユーリは、机に向かっていたスマイルがパソコンを開きヘッドホンをしていたのを思い出す。ユーリにとっては難解で触ろうとも思わないソフトを駆使して、スマイルは音の波と長時間にらめっこしていた。
「コピーしたのか」
「さすがに骨が折れたね~。数だけならまだしも和音が鬼のように」
「だろうな」
ユーリはくすくすと笑いをこぼした。なるほど、ジャズらしい即興的な音の運びをそのまま写したようだ。中盤、所々に見える読みづらい部分はソロか。そうでなくても、ピアノの譜面など、ほとんど書いたことがなかったのだろう。
そうしているうちに、ひとつの扉の前に着いた。奥は、閑とした室内に居座るグランドピアノが一台のみ。作曲用ではなく、ユーリが気まぐれに使うものである。少し埃がかぶっているのをさっと拭い、ユーリは背のない椅子に座った。
始めの4小節を鍵盤に滑らせて、今一度指運を確認する。指の動きにも問題はない。ユーリは、傍らに立つスマイルを仰いだ。
「おそらく問題ない。速さは?」
「ちょっとゆっくりめに」
スマイルは手を叩いてリズムを取る。ちょっと、というよりなかなか遅い。あまり遅すぎると少々弾きづらいが、スマイルもそれは承知だろう。初見だし大目に見てもらおう、ということで、ユーリは演奏には向かない指を置いた。
軽やかに跳び、滑らかに流れるメロディー。控えめな音に、三日月の声が乗る。寄り添うような低い声は掠れがちで、メジャー・コードに憂愁を感じさせる。
かすかに聞き取れた歌詞は、慰めの男の歌だった。