買い物が終わって家に着いたら、部屋は真っ暗だった。暖房もついてなくて、室内なのに寒い。レオはまだなのかな、と思ってリビングの電気をつけると、いた。ソファーの上、薄いブランケットを引っ掛けて、膝を抱えて頭をうずめていた。
「風邪ひくよ、レオ」
 話しかけても返事はない。そこで初めて、落ち込んでいるなと気付いた。楽天家のレオが落ち込むなんて珍しい。ビニール袋からチョコレートを一つ出して、レオに近づく。
「チョコ買ってきたけど、食べる?」
 差し出したけど、レオは顔を上げようともしない。ほんの少しだけ首を横に振っただけだった。
 すぐそばのテーブルにチョコを置いて、レオと背中合わせに座る。レオが前のめりになってるから、僕は後ろにのけぞるような形になる。ちょっと変なポーズだけど、ぴったりくっついていたいから仕方がない。そのまま、もう一度話しかける。
「どうかしたの」
「手紙」
 いつもより少しだけ低い声が頭の後ろからした。何の手紙かは聞かずに、僕はテーブルを見る。さっきのチョコの隣に、白い封筒が置いてあった。封は切ってある。体勢は崩さずに、手を伸ばしてなんとか封筒を取る。中の紙を出して開くと細かい字が目に飛び込む。事細かに書かれた、中傷の言葉たち。それをじっくりと読んで、また封筒にしまって、テーブルに投げた。
「読んだよ」
 そう言うと、レオはさっきより小さい声で「うん」と返事をしてくれた。
「どうしたの、レオ」
 いつもの君は、あれくらいで折れるようなやつじゃないだろう。
「その通りだなあと思ったんだ。返す言葉がなくて、そんなことないって言い返せなくて。そしたら今まで作ってきた物が全部いびつな形に見えてきて、どうして僕はギターなんか持ってるんだろうなんて考えちゃった。僕から音楽を取ったら残るものはない、それなのに音楽すら中途半端でぐちゃぐちゃ。じゃあ、僕は音楽を作る資格なんかないんじゃないかって、思って」
 沈んだ声で一気にまくし立てて、また黙り込む。今のレオはいつものレオじゃない。どうしようもなく、ネガティヴで鬱々としていた。
 レオがそうなってしまった理由を、僕は知ってる。レオは最近作曲がうまくいってないこと、歌詞もうまく書けないこと、そんなことが理由だって知ってる。真っ白の紙を前にしてため息をつくことを知ってる。ごめんごめんまだ書けないや、なんて明るく振る舞っているけど、本当は自分に苛立っていて憤っていて、ずいぶん疲れてるってこと、僕は知ってる。そんな時だったから、いつもはかわせる棘も深く突き刺さったんだろう。
 それでも何も言わないのは、レオは自分が弱いやつだと思われるのが嫌いだって知ってるから。だから僕は、ギリギリまで傍観を続ける。
 壊れそうなレオを見るのは、僕だって辛いけれど。
「そっか」
 首を反らして頭と頭を軽くぶつける。そうやって、しばらくお互いに黙っていた。
「スギ」
 レオが僕の名前を呼んだのは、体感時間で五分が経ったくらいだった。
「なに、レオ」
「僕、この話リエちゃんとさなえちゃんにもしたんだ」
「そうなんだ」
「一人ずつね、悩み事があるんだけどって言って。二人とも親身に聞いてくれたよ」
 レオの声が、少しだけ柔らかくなった。僕はそっと頭を起こして首を回す。同じようにこちらを見たレオと目が合った。
「それで、さなえちゃんは大丈夫だよって慰めてくれて、リエちゃんにはうじうじしないって切り捨てられちゃった」
 くすくすと笑いながら、レオが楽しそうに言った。詰まっていた息がすうっと肺まで通っていく。
「リエちゃんらしいでしょ」
「それでもっと落ち込んだらどうするんだろうね」
「まあ、リエちゃんだからいいんだけどね」
「さなえちゃんに言われたら立ち直れないな」
「うんうん、その通りだな」
「僕は君に何も言わないよ」
 レオがぱちぱちとまばたいた。レオがじっと僕を見つめて、僕もじっとレオを見つめる。
 さなえちゃんはアドバイスして、リエちゃんは叱って、僕は、何も言わない。何を言っても無駄だと思っているから。僕には僕以外の人間の痛みも苦しみもわからない。痛がっているのも苦しんでいるのもわかるけど、本当に辛いことはわからない。わからないのにわかったようには言えない。長い間同じ時間を過ごしているレオも例外じゃない。だって僕はレオじゃない。気休めの言葉は、吐けない。
 僕がレオに何も言わない、もう一つの理由。
 だけど。
「何も言わないでよ」
 レオはにっこりと笑った。
「何も言わなくてもスギが僕のこと見てるのは知ってるんだから」
 君ならそう言うと思ったよ、レオ。
 長い間同じ時間を過ごしている僕たちだからわかることがある。僕は君じゃないし、君は僕じゃないけど、誰よりもお互いを見ている。何も言わなくてもわかることはたくさんある。
 僕は、ゆっくりと背中を離した。レオがソファーから降りて伸びをする。
「さて、作曲の続きでもしますか」
「できるのかい」
「うん。ギャフンと言わせなきゃいけないからね」
「今時ギャフンはないよ」
「細かいことは気にしないの」
 苦笑しながら自室に行こうとしたレオは、廊下の前で足を止めた。こっちに振り返る。
「ねえ、スギ」
「なに、レオ」
 呼ばれたけど、レオは黙ったままだ。少しの間じっと見つめて、それから笑った。僕も、黙ったまま笑い返した。それから、テーブルのチョコを取ったレオは、今度こそリビングを出て行った。
 背中のぬくもりは残ったままだった。

スギくんは現実主義っぽい。だから黙ろうと思ってるんじゃなくて、黙っていることしかできない。でもそれを必要とされるときがある。みたいな。気に入ってる話。
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