執務室の窓辺に備えてある小ぶりの鉢。魔界にしか咲かないという花が一輪、今日も元気に笑っている。
 その前に立ったヴィルヘルムはジョウロを手にしていた。腕を傾けると、白い陶器の細い蓮口から水が注がれる。溢れないように、少しずつ均等に、繊細な手つきで。そんなヴィルヘルムに、花は感謝しているかのように揺れた。
 水をやり終えて満足げに息をついたのと同時。似合わないですね、とジャックが吐き捨てるものだから、ヴィルヘルムは眉を寄せて振り返った。
「何がだ、ジャック」
「何がって、花だよ花」
 椅子の上にしゃがんで報告書をまとめるジャックは、目線はそのままにヴィルヘルムを指差した。正確には、花に水をやるヴィルヘルムを。
「えげつない仕事やらせておきながら、花なんか愛でちゃって」
 せわしく手を動かしながらの声音は、少し疲れの色が窺える。今回の任務は今のジャックでは難易度が高かったか。それでも定時できっちりと終わらせてきたのは、十分な実力がある証拠だ。
 休暇でも用意してやるかという考えとは裏腹に、ヴィルヘルムは嘲笑するよう鼻を鳴らした。
「わかっておらんな。この仕事に就いているからこそ、だ。我々は毎日毎日飽きもせず人を殺している。飽きもせずに依頼を下す頭のイカレたクライアントがいるからだ。奴らは既に生物の命のなんたるかを忘れ去っているのだよ。己の一言と金で命を操れる、それに慣れてしまったのだよ。私はな、そのようなイカレた連中と同類になどなりたくない。だからこうして生物を育て、愛で、その尊さを実感しているのだよ」
 ヴィルヘルムの長い演説が終える頃にはジャックの報告書も片付いていた。暇つぶしにナイフを回していたジャックは、ふぅんと興味のなさそうな声を出した。
「だとしても似合わない」
「そうか、ではもう一度説明してやろう。この仕事に就い」
「うん、だから似合わないんだって」
「どこが似合わないと思うのだ」
「冗談は仮面だけにしろとか言われてる上司が花に水やって満足感得てるところとか」
「上司と呼ぶなと何度……待て、冗談は仮面だけにしろと言ったか、言ったな」
「ジョウロがすごく高級品っぽいところとか」
「上司の問いにはきちんと答えんか」
「とにかく絵面の違和感が異常」
「絵面など関係ない。大切なのは心だ、ハートだ」
「上司の仏頂面でハートとか言われても。あ、報告書ここ置いときます」
「うむ、ご苦労だった」
 癖で反射的に返答をして、ヴィルヘルムはしまったと思った。見渡した部屋に少年の姿はない。扉はきっちり閉まっている。そこから廊下に出るが人影はない。嘆息をひとつ落として、ヴィルヘルムは部屋に戻った。
 新たに置かれた報告書は三枚。それをぱらぱらと見て、迷うことなく重厚な印を押した。それから既に机に積んである紙を一瞥して、今度は感嘆の息をついた。
「まったく優秀な部下だよ」
 手のかかるくらいに。
 窓辺の花は、今日も元気に笑っている。その顔がが嘲っているように見えてヴィルヘルムは顔を歪めた。

水面下でバトル。ジャックの十八番は言い逃げ。
120220

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