薄汚れた空間に淡いピンク色。ずらっと並ぶ小さな画面の群れの中で、その姿は僕の目に飛び込んできた。
 僕はその子を、変なやつだと思っていた。争い事が嫌いで、ろくな魔法が使えなくて、花とか動物とかが好きで、僕の知ってる限りでは一番女の子らしい女の子。ここは戦いをするための組織で、なんでそんな子がいるんだろうといつも思う。
 その彼女は今、モニター越しで、しかも後ろ姿なのに、はっきりわかるくらいに落ち込んでいた。このところは戦闘で誰が死んだとか怪我したとか、そういう報告は聞いていない。こんなに元気をなくす理由は思い当たらない。
 カメラの場所を確認して、モニターの向こうに意識を集中させた。監理棟、一階、第二セクター、彼女の目の前へ――――微かな耳鳴りを越えて、転移する。
「何してるのホライズン」
 いつも通り声をかけた僕に対して、ホライズンは見慣れた反応。驚いて目を丸くしている。はじめてのことじゃないんだから、いい加減慣れてもいいと思うんだけど。
「聞いてる?」
「う、うん。ちょっと、びっくりしちゃって」
 照れ隠しみたいにふにゃっと崩れた顔に、かすかに影がある。へらへらと笑うのは彼女の癖だけど、今日はやっぱり、元気がない。
「で、こんなとこで何してるの」
「あの、これを……」
 と、大事そうに両手で握っていた包み紙を開いて見せた。中には、豆粒のように小さくてパサパサした黒い何かがいくつか。
「……ゴミ?」
「違うよ! お花の種……だったの」
 憤慨したと思ったら、声のトーンがゆっくり落ちていった。隠れていた悲しみが露になる。
「水のやすりぎで腐っちゃって、シークに頼んで調べてもらったけど、やっぱりだめだったの」
 なるほど。死んだのは人じゃない、植物。それも、自分で育てようとしていたものか。種に視線を落とした瞳は潤んでいるように見える。この子は、ちょっとしたことですぐに泣く。僕は気にも止めない、本当にとうでもいいことに。
 ただ、当然だけど、目の前で泣かれるのは気分が良くない。
 ホライズンの、僕より少し小さい手の上に、自分の手を重ねた。
「目を閉じて。移動するよ」
「え?」
「いいから」
 了承の声は、キィンという音にかき消された。二人分の転移は耳鳴りがひどくて頭痛すらするけど、仕方ない。この子はこういう便利な魔法が使えないから、僕が連れてきてあげないと。
「もういいよ」
 僕の声を聞いて目を開けたホライズンは、はっと息を飲んだ。
「ここ、屋上? すごい、本当に一瞬で来れるんだ」
 夕暮れの赤い空を見上げて歓声をあげる。とにかく狭苦しい屋内から出ようと思って、正解だった。珍しく空の機嫌も良いし、これならたぶん元気になるだろう。
「普通だよこんなの。それより、その種ちょうだい」
「? いいけど……」
 不思議そうな顔をして差し出した紙の中から種を摘まみ出して観察する。見た目ではわからないけど、この種からは芽が出ない。成長しない。花が咲かない。新しい種を落とすことはない。残念なことにこいつは死んでしまった。
「これ、どんな花が咲くの?」
「えっとね……形、シルエットはまん丸かな。楕円の細長い花びらがたくさんあって、花びらは白なんだけど、真ん中に黄色の……花か茎かわからないけど、丸いのがあるの。小さめで地味な花だけど、私は可愛いなって思う」
「ふーん」
 だいたいのビジョンを思い描いたところで、種をぐっと握りこんだ。イメージを膨らませる。魔法の原動力は想像だ。頭の中で形を作って、色をつけて、イメージを広げていく。鮮明なイメージであるほど魔法は強くなる。とても簡単なことだ。
 ホライズンはとても簡単なことがうまくできなくて、だからか、とても簡単なことに大喜びする。
 手を開くと緑色の光が伸び始めた。ゆっくりと、頭の上まで昇っていく。光の端から白い雫が滴って、丸く、大きく、膨らむ。ホライズンは息をのんでその様子を見入っていた。はちきれそうに膨らんだ雫は、身震いをすると、一気に四散した。雫の欠片が飛び散って、空を自由に飛び回る。
 ホライズンはその全部を見逃さまいと、きょろきょろと慌ただしく首を振った。暗かった瞳はきらきらと輝いていて、沈んでいた口元はいつの間にか上がっている。彼女の表情が晴れあげるのを見計らって、指をパチンと鳴らした――――とたんに、欠片が花開いた。
「これ……!」
 魔法の花を見上げたまま、言葉を失っていた。花なんて画像でしか見たことないけど、ホライズンの反応を見る限りこの見た目でよかったようだ。安心したのを悟らせないように気を付けて口を開く。
「わかってるとは思うけど、僕が勝手に想像しただけだからね」
「うん、でも……」
 僕を見つめるホライズンの顔には、いつもの笑顔が戻っていた。
「ありがとう、ラジェくん」
 彼女は不思議な子だ。へらへらしていて、掴みどころがなくて、僕とは全く違うタイプの魔法使い。戦うこともできないし魔法もほとんど使えないし治療だってできない。だけど、不思議な力を持っていると思う。
「どういたしまして、ホライズン」
 ぶっきらぼうに返事をすると、ホライズンはちょこちょこと僕に近寄ってきた。少しだけ背伸びをして、頬に彼女の唇が触れた。
 この子の不思議な力は、これだ。
 ホライズンのへらへらした笑い顔は、誰にでも移っていく。まるで感染症……でも、迷惑じゃない。
 僕がつくった魔法の花は、藍色の空に光の粒を残して消えていった。きっと、それを見送る僕とホライズンは、似たような顔をしていた。
 そんな気がする。

ホライズンを笑顔にする魔法と、ラジェを笑顔にする魔法。
ちなみに、ホライズンが枯らしてしまった花はマーガレットです。でもあの花の香りって臭いらしいね。
140504

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